一昨日、ご近所のイオンモールに買い物をしに出掛けました。
春休みに入ったのか、中学生や高校生と思われる子たちがわんさかいた。
自分もそうだったからか、何となく感じ取れるんだろうけど、
あの思春期特有の、周囲の目を気にするオーラで溢れていたなぁ。
そのとき、自分の中から、
「もっと(外見的に)可愛いわたしで、あの時期を過ごしたかった」
という思いが出てきた。
というのも、わたしは、赤ちゃんの頃、アトピー性皮膚炎と診断されて以来、
長年の間(10年以上)、毎日、強いステロイドを塗っていました。
その後、小学6年生の頃、脱ステロイドをした影響で、中学・高校の6年間、
いわゆる思春期といわれる時期を、全身ひどい炎症の中で過ごした。
ちょうどメイクに興味を持ち始める時期。
異性のことを強く意識し始める時期。
メイクどころか、体中痛くて、服を着るのも精一杯だった。
好きな人はいたけれど、傷だらけ膿だらけの顔で、気持ちを伝える勇気なんてなかった。
「綺麗な肌だったら、いろんなメイクができたのに」
「恋愛だって、もっと楽しめたかもしれないのに」
時々、そんな気持ちが顔を出す。
昨日は、色めき立つ学生たちを見て、この気持ちを意識せざるを得なかった。
だけど、以前と感じ方が変わったのは、
「その経験があって、本当によかった」
と、心底思えるようになったこと。
たぶんこの「わたしには、魅力的な外見がない」という思いが、
内側に目を向けるきっかけをくれたような気がする。
一見ネガティブと思われる事象ほど、
必ず意識を大きく拡大してくれる!!!
わたしには、炎症のない肌で過ごした思春期はないが、
アトピーと共に過ごした経験がある。
そこで感じ、味わったことは、今もわたしの糧になっている。
新しくできたばかりの「Mihiro Cafe」へ!
ここのナチュラルランチ、ものすごーーーく美味しい!
その後も、「ない」と感じることはたくさんあった。
だけど、不足を力づくで埋めようとするのではなくて、
不足に感じることも、全て糧にする姿勢さえあれば、
必ずその「ない」は、「ある」にひっくり返る。
離婚したとき、「わたしには、家庭運がない」と思ったけれど、
結婚という枠に囚われなくても、よりよいパートナーシップは育めると知った。
何をしても思うように稼げなくて、「わたしには、稼ぐ力がない」と思ったけれど、
めちゃくちゃ稼ぐことが得意なパートナーと出会った。
この一年、そのパートナーとは離れて暮らしていて、
「そばにいてくれない」と思うこともあったけれど、
物理的に近くにいなくても、大きな愛を感じられた。
しかも、両親や家族、ヘルパーさんたちに囲まれて、
たくさんのサポートを受けながら、子育てすることができた。
「自然分娩ができなかった」と思ったけれど、ちゃんと帝王切開の経験があったし、
「海外生活もなくなってしまった」けれど、日本での生活がある。
「ない」と感じることは、苦しい。
だから、必死でもがいて、その不足を埋めてくれる何かを取りにいこうとするんだけど、
「ない」というのがそもそも幻だから、取りにいったとて、掴めるものがない。
幻を追いかけるほど、難しいことはない。
簡単な方法は、苦しい気持ちを正面から見て、「最初からあった」と気づくこと。
「ある」と知るために、目の前に「ない」は現れる。
最近、確信したこと。
そう思うと、いつでもちょこっと勇気を出して、
苦しさのその内側を覗いてみることができるなぁ、と思ったんです。