昨日、桜を見に、隣町まで行ってきました。

 

富士山と桜のコラボレーションが見られるという、絶景スポット!

しかも、腹ごしらえしている間に、みるみる晴れてきた!

 

「これは期待できるぞ〜」と、ワクワクしながら向かいました。

 

 

でもね、到着してみると、富士山だけきれーーーに雲隠れしていたんです。

思わず、お見事!と言いたくなるくらい、本当に富士山のところにだけ雲。

 

 

このとき、もんのすごーーーく残念な気持ちがしたんですよね。

 

「富士山が見えていれば、完璧なのにぃ」

「なんで今日に限って、富士山見えないわけ?」

「これじゃあ、いくら待っても絶景は拝めそうにないよなぁ」

 

「はぁ、残念だなぁ…」

 

 

心底残念に思ったときに、ふと聞こえた声がありました。

 

「今、目の前に見える景色は絶景じゃないのか?」

 

ハッキリと聞こえてきた、自分の中から。

 

 

その声にハッとした。

 

いや、めちゃくちゃ綺麗なんだ。

 

桜のピンクも、空の青も、草木の緑も、川の群青も、雲の白も、

太陽の光に当たって、それぞれがしっかり映えて、すごく綺麗だった。

 

なのに、富士山が見えないことにばかり気を取られて、

目の前の絶景をみすみす見逃すところだった。

 

 

「滝戸橋」という橋から撮影したものです。
本当に!本当に!絶景でした。

 

 

きっと「ない」や「不足」を感じるのも、こういう仕組みなんだと思う。

 

 

本来、目の前に用意されているものは、全て完璧で、全て絶景なんだ。

 

もしそれを「完璧」とも「絶景」とも思えないのなら、

疑うのは、見えているものではなく、それらを見ている自分自身。

 

 

そんなことに気づいた帰り道、足取りは軽かった。

 

 

残念な気持ちはどこかに消えていて、

 

「綺麗だったなぁ。また富士山と桜も一緒に見られたらいいなぁ。」

 

そんな気持ちに変わっていた。

 

 

ここからは余談だけど…

 

駐車場の案内をしてくれたおじさんに「ただいま」と言ったら、

「どっちが綺麗だった?」と聞かれた。

 

 

「どういう意味ですか?」と聞き返したら、

 

「お姉さんと桜、どっちが綺麗かってことだよ〜。

 お姉さん、桜に負けないくらい綺麗じゃないかぁ!」

 

と言われて、何だか悪い気はしなかった、笑。

 

 

帰り道の景色も、最高に綺麗だったぁ♡

 

 

『「絶景」って、いつでもどこでも、

 在り方次第で、必ず見れるものなんだよな』

 

 

今、使っている手帳に書いてある、大好きな言葉♡

どんな状況の中にも、「完璧」も「絶景」も見出せるわたしで在ろう♡

 

 

 

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