お正月に家族で集まったとき、義兄がこんな質問をしてきた。
「このくらいの子(高校生の姪っ子)に何か伝えるなら、何を伝えたい?」
「もしくは、過去の自分に伝えたいことでもいい」
この質問をされた瞬間、ハッキリと一つだけ頭に浮かんだことがあった。
「世間と折り合いをつけるのは後でいい」
これ。で、そのまんま回答しました。
人間関係でも、勉強でも、お金でも、仕事でも、全てに言えること。
「順番を間違えるから苦しい」
静岡県富士山世界遺産センターへ行ってきました。
有料エリアに入ったのは初めて。
過去を思い返してみると、自分のことなのに、
わたしは、わたしの本当の思いをよく知らないままでした。
(完全に知り尽くすことは永遠にないから、知ろうとし続けることが大事!)
自分のことすらよく見ていない、自分の声すらよく聴いていないのに、
「周りに合わせる」
「世間に合わせる」
「常識的に生きる」
なんてことをしてたもんだから、もうブレブレもいいところで。
自分でしたはずの選択なのに、
まるで誰かや何かに選ばされているような気持ちになっていたし、
不平不満でいっぱいで、いつも何かしらに怒っていたなぁ。
そりゃそうだ、足場となる「自分」がないんだもん。
本来は、本当の自分を生きるからこそ、
真っ当に世間(他人)と折り合いがつけられる。
なのに、多くの人は、自分を見ないまま、
周りに合わせてばかりいるから変なことになる。
本当の自分を生きるって、わがままとは違うのに。
自分で勝手に創り上げた、得体の知れない「世間」というものに
自ら合わせておいて、不平不満を撒き散らす方がよっぽどわがまま。
贅沢極まりない場所に住まわせてもらっていると、
つくづく思う。
去年読んだ、吉本 ばななさんの『「違うこと」をしないこと』という本。
まさにこれ!という言葉で表現されていたので、ご紹介します。
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自分に正直に生きるってことと、
ちゃんと社会性を持って生きていくということは、
別にどっちかを選ばなきゃいけないことじゃなくて、
ちゃんと両立できることなのにね。
そうやって、世の中の常識だと勝手に思い込んでることに
自分を合わせていくことばかりしてるから、
初期設定がおかしくなっちゃう。
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これこれ!まさにこれ!
自分に正直に生きるって、何も勝手気ままに振る舞うことではない。
自分の中の本当の声を聴く姿勢すらないのに、行動と繋げるのは早過ぎる。
その声を聴くからこそ、「妥協」とも「譲歩」とも違う、
「わたしは、ここで折り目をつけたいんだ」
という場所が見つかる。
それからでいい。
実行するのも、世間と折り合いをつけるのも。
ちゃんと自分の声が聴こえてきてからでいい。
そこがスタート。
順番を間違えてはいけない。