少し前に、自己啓発や心の学びに関する発信を目にする度に、
「またかよ」
「もういいわ」
「お腹いっぱいだわ」
そんなふうに感じることが続いた時期があった。
自分だって、心の学びついて発信しているのにね、苦笑。
でもね、こういう人多いと思うの。
心の学びに疲れてしまう人。
その理由を、これまではうまく言葉にできなかったけれど、
今回、自分自身がそういう状況になってみて、ようやく明らかにできました。
それは、自分の「個」の感覚ではなく、
他人の「個」の感覚を真似ようとしているから。
「個」の感覚については、
ぜひそれについて解説したYouTube動画をご覧いただきたいのだけど、
簡単に説明すると、個々に与えられた「好み」のようなもので、
かつ、該当する個体(肉体)を動かすために必要な感覚です。
わたしが、わたしの肉体を動かすための感覚。
あなたが、あなたの肉体を動かすための感覚。
これは、絶対に!
他の誰かのものじゃあダメなんです!
(ここは敢えて「絶対」と言わせて欲しい。)
そう、わたしは「みつはし さや」なので、
『みつはし さやの「個」の感覚』をキャッチして、
それを真っ直ぐに肉体に繋げていく必要がある。
一応補足しておくと、別にそうじゃなくてもいいんだけどね、
「よりよい人生(内から満たされた人生)を送りたい」なら、その必要があるよ!ってことです。
だけど、心の学びに疲れていた時期を振り返ると、
わたしは、他人の「個」の感覚で、この肉体を動かそうとしてた。
具体的にどういうことかというと、
旅費の支払いに関して、「彼に支払って欲しい」という気持ちが湧く度に、
その気持ちを真っ直ぐに見ることなく、
「いや、自分で払おうよ」
「で、アテにされるくらい稼ごうよ」
ってやっていたのです。
わかります?
これ、わたしの「個」の感覚じゃないんですよ!
でも、よく目にしますよね。
藤本 さきこさんをはじめ、活躍されている方の多くがこんなふうに言っている。
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だから、もうね、本当無意識のうちに、自分をそっちに持っていこうとしてた。
そんな自分に気づいたときの衝撃たるや、もはや言葉にならない。
「うっわ… わたし、何やっちゃってたの…」
項垂れる(うなだれる)、この言葉がぴったりかな。
そう、「源」の感覚からしたら、どっちでもいいんですよ。
アテにしようがされようが、どっちでもいい。
その上で、
「わたしは、どうしたいか?」
「わたしは、どれが好みか?」
というお話なんですよね。
このときに、頭の好みに持っていこうとすると、今回のわたしのようなことになる。
模範としている人の、目の見える、その「好みの世界」が在り方なのではない。
「源」を通した上で、本当の好みをとらえる、その目に見えない「姿勢」が在り方なのだ。
そして、真似をするのであれば、そっち。
その姿勢の方を真似をするから、自分の人生をよりよくしていける。
設定拝借も、自分を見ていないととんでもないことになる。
本来、人生をよりよくするための学びなのに、なぜかそれに疲れることにもなる。
と同時に、「疲れた」という感覚で気づかせようとしてくれる、宇宙の慈愛も感じるのだ。
これからもその慈愛をしっかり受け取る自分で在ろうと、心の底から思った。
ぜひこちらの動画もご覧くださーーーい!
具体的なサイクルの回し方についても話しています!