前回の続きのような内容です♪
ちょうど全く別のところで、「好き」と感じる気持ちについて思うことがあって。
でも、身内のディスりみたいになりそうで、ブログに書くことを躊躇っていたんです。
だから、西のさよから突然の振りがきたとき、書け!ってことかと悟りました。
なので、前回の続きとして書きます。
どうして「ただ好き」と認めることがこんなにも難しくなってしまうのか?
難しくなってしまった今、わたしたちはどうしたらよいのか?
そんなところに、最近、一先ずの答えが出たんです。
息子は、戦いが好き。
闘争心のある強い生き物が好き。
昔から体当たりしたり、ものを投げたりするのも好きだし、
アンパンマンにハマッていた頃は、ばいきんまんに憧れて、
だだんだんやもぐりん、ゴロンゴロなどのバイキンメカが大好きだった。
最近では、よく昆虫のおもちゃを対決させているし、
息子自身も常に見えない何かと戦っていて、笑、それに向かってものを投げたり、
あらゆるもの(椅子とか)を敵に見立てて(なのだろうか)倒したりしている。
ブロックで武器を作るのも上手なんですよ。
↑ だだんだんはこれ!
2023年6月にやなせたかし記念館に行ったときのもの。
そんな姿をよく目にしているじぃじ(わたしの父)がね、
息子(じぃじにとっては孫)に向かって放った言葉があるんです。
「じぃじは戦いなんて嫌いだよ」
「仲良くしなきゃダメだよ」
「それが戦争に繋がるよ」
そのとき、わたしの中に疑問が生まれたんですよね。
「本当にそうなのか?」
父の思いは思いでいいし、別にそれを否定したいわけでも、
ディスりたいわけでもないけど、わたしには常々思っていることがあるんです。
自分の「好き」と感じる気持ちを認めるのが先。
まずは、その気持ちを大切に扱ってあげる。
世間との折り合いはその上で!なんです。
その上でしか成り立たない。
でもね、みんな、世間に合わせる方から先にやっちゃうでしょ。
例えば、世間一般でよしとされるものは好きでいいけど、
そうでないものは好きでいてはいけないとか、
自分が感じる気持ちまで捻じ曲げてしまう。
でもさ、もう勝手に感じちゃってるじゃないですか。
「好き」だとか、「嫌い」だとか、その他諸々の気持ちって。
ここで書いた息子の「好き」も、きっと彼が生まれ持ってきたもの。
だって、こっちが仕向けたわけでもないのに、
しぜ〜んとそういう類のものに惹かれていくんだから。
だからね、わたしは、戦いが好きな息子に
「戦いをやめろ」っていうのは酷な話だと思っていて。
だって、大大大好きなんだもん。
四六時中そのことで頭がいっぱいなほど、好きで好きでたまらないんだもん。
それなら、まずは、その気持ちを認めてあげたいって思う。
そこからですよね。
「相手が痛いって感じるようなことはやめよっか」とか、
「ものが壊れない程度の力にしとこっか」とか、
「ものを投げるなら、人のいない場所で投げよっか」とか、
そんなふうに折り合いをつけていくのは。
たとえそれがどんなに世間的によろしくないことだとしても、
世間一般からズレていたり、誉められるようなことではなかったとしても、
「あなたは、そういうものが好きなんだねぇ」
「そういうものを好きだと感じるんだねぇ」
と認めてもらえた人は、他人のそれも同じように大切にできると思うんですよね。
間違っても、戦争なんて起こらないと思うの!
感じる気持ちにこそ価値があるのに、価値あるものとして扱わないから、
どんどんどんどんおかしな方向になっていく。
自分が好きなものも、嫌いなものもわからなくなってしまう。
その時々で、実体のないもの(周りとか世間とか)に合わせていってしまう。
「ただ好き」じゃダメだから、価値のありそうなもの(稼ぐとか)をくっつけようとする。
誰かに認められること、誉めてもらえることだけを必死に追いかけてしまう。
幼い頃に遊びの中で満たされなかった気持ちが、大人になって爆発する。
結局、それは苦しい。
そして、自分の気持ちを認めない人は、他人のそれも認められなくなるんだよね。
「ただ好き」をそのまま表現している人なんかを見たら、否定したくてたまらなくなる。
↑ もぐりんは、このばいきんまんが乗ってるやつ!
ブロックを積み上げて、もぐりんの一撃で倒ーーーす、笑。
少し前に息子が言ったの。
確かそのとき両手に持ったブロック同士をぶつけようとした手を止めて、
「りょうちゃん、たたかいしなーい」
「なかよくするー」
って、わたしの顔を窺うように見ながら言った。
そんな息子を見て、何だか胸が苦しくなりました。
きっと息子は、「そうだね、仲良くするんだよね。偉いね」って、
わたしがそう言うことを期待して言ったんじゃないかと思う。
何だか過去の自分とも重なった。
わたしがこの歳まで、自分の中の「ただ単に好き」って気持ちを認められずにいたのにも、
こんな背景があったのかな、なんて思うと居ても立っても居られないような心地になった。
誉められて嬉しい気持ちは誰の中にもあるから、それはそれでいいんだけど、
そのために自分の「好き」まで曲げなくてもいいんだよ、と今のわたしは思う。
誰に認められなくても、誰の称賛なんてなくてもいいから、
まずは、誰よりも自分で自分の「好き」を大切にしてね、と。
(しかも、「戦いをすること=仲良くできない」ではないしね!仲良く戦いごっこもできる!)
今の息子と同じ歳くらいのわたし。
昔からカラフルなものや、ファッションが大好きだった。
それは、息子への思いであると同時に、わたし自身に対する思いでもある。
他人に認められないことよりも、自分自身で認めないことの方が何よりつらい。
誰かに鼻で笑われたり、雑に扱われたり、ダメだって言われたとしても、
それを採用して、自分でもぞんざいに扱ってしまわないで。
もし自分の気持ちを雑に扱っていることに気づいたのなら、今ここから大切にしていこう。
自分でなら、いつからだってそうできる。
それが何よりもの救いだし、自分で認めたことは本当に大きなパワーになるんだ。
そうして自分に夢中になったとき、もういらないと思った周りからの称賛が現れたりする。
この世界って、そういうものだ。