先月、父方の祖母が亡くなった。

 

母方の祖父母は、わたしが生まれる前にすでに亡くなっていたため、

わたしにとって、唯一のおばあちゃんだった。

 

幼い頃には同居していて、共働きの両親に代わって、たくさんの時間を過ごした。

おばあちゃんに育ててもらった、と言っても過言ではない。

 

大好きだった。

いつも、5つ年下の従妹と(おばあちゃんの)取り合いをしていたくらい。

 

 

そんなおばあちゃん、ずーーーっと寂しさに翻弄されていたように思う。

 

最期の方は、電話をしていても、一緒にいても、

「寂しい寂しい」ばかりで、話すのも会うのもしんどくなってしまった。

 

 

当時は、おばあちゃんがネガティブなことばかり口にするから、

こんなにしんどさを感じるんだ、と思っていたけれど、

 

「自分との繋がりを忘れてしまっている姿」

 

わたしは、ここに反応していたんだな、と気づいた。

 

 

ひ孫とひいおばあちゃん♡

 

 

肉体を持ち、「個別」「分離」のあるこの世界で、

外側で繋がりを感じようとするのは不可能。

 

寂しさを解消してくれるものを外に求めれば求めるほど、

どんどんと孤独になってゆくのが、この世の法則だ。

 

寂しさを感じるのなら、その感情を直視して、

自分の内側に目を向けない限り、本当の繋がりを感じることはできない。

 

 

こうしてやっと人生を自分の手に取り戻せるのに!

 

 

でも、多くの人が、ここに気づかないまま死んでゆく。

おばあちゃんを見ていて、そう強く感じた。

 

これって、寂しさだけじゃないね。

怒りも、悲しみも、不安や恐怖も、全部そう。

 

 

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これからも、感情を暴走させるんじゃなくて、

感じたことを頼りに、丁寧に!丁寧に!内側を見ていきたい♡

 

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昨日のブログをこんなふうに結んだけれど、本当ーーーにこれしか、

 

「自分の人生を生きる方法」

 

ってないんじゃないかな。

 

 

お通夜の日。
龍馬くんも、一丁前に喪服を着ました。

 

 

享年94歳。

とにかく「おつかれさま」と伝えたい。

 

おばあちゃんが、魂の世界に還って、自分と他人なんて存在しない、

常に繋がりを感じられる日々を過ごしていますように。

 

 

色づく花にも、太陽の光にも、暖かな風にも…

あれからというもの、そこかしこにおばあちゃんの存在を感じます。

 

肉体を超えて、そばにいてくれている気がするんです。

 

 

火葬場からの景色。
おばあちゃんは自然に還っていったんだなぁ、と何度も何度も思った。

 

 

ずっとずっと大好き。

 

わたしのおばあちゃんでいてくれて、ありがとう♡

命を繋いでくれて、ありがとう♡

 

一生懸命、全身で息をしながら、生きて待っていてくれた。

わたしたちが到着した約1時間後に息を引き取った、おばあちゃん。

おばあちゃんは、最期の最期まで本当に綺麗でした。