前回の続きです。
どんだけ間空けたの?!ってかんじではありますが、お許しを。
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話を戻して、先ほどのリール動画の投稿者さんが言っていた「自己否定」って、
「自分の存在そのものを否定する」という意味ではないと思うんです。
理想はあるのに、今の状況に甘んじている「自分への喝」という意味で使ってますよね。
この二つ、全くの別物ですからね!
「自分の存在そのものを否定」している人が、「喝」からスタートしたら地獄です。
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前回のブログに登場した、リール動画の投稿者さんが言う「自己否定」って、
四六時中自分にダメ出ししまくっている人が実践したところで、
何の意味もないというか、それこそ本当地獄だと思う。
そういう人が、まずやらないといけないことは「自己受容」。
つまりは、「源」の感覚を思い出すことです。
この段階では、とことん自分に甘くていい。
自分の中からどんな気持ちが湧いてきたとしても、ただただそれを許していい。
まずは、ここが第一段階です。
だって、自分の存在を否定しまくっている人、
自分の感じていることすら真っ直ぐに見れていない人が、
「本当にやりたいこと」なんて見つけられるはずないですから。
それすら、否定して生きているんだから。
でも、あれ?って思いますよね。
リール動画の投稿者さんと言ってることが違くない?って。
だから、「言葉に惑わされるな」なんです。
たぶんだけど、そのリール動画の投稿者さんは、
自己受容できている状態で、これ!というやりたいことが出てきているのなら、
現状に甘んじている自分を否定して、やりたいことに向かって行動しよう!という意味で、
「自己否定」を使っているはずなんです。
投稿の中では、
「自己受容できている状態で、これ!というやりたいことが出てきているのなら」
という前提までお話しされていないだけで。
そこを汲み取れないと、本当言葉に惑わされる。
静岡空港、もう少しがんばって!
コジコジは可愛いんだが、15:00にはほとんどのお店が閉まるという不便さよ、苦笑。
その投稿者さんが起業家育成をされている方だったので、起業を例にして話していきます。
実は、わたしには、カメラマンとして起業した経験があります。
「カメラマンをしたい」
「起業したい」
「それでバンバン稼げるようになりたい」
当時のわたしは、何の疑いもなく、これらが本当の望みだと思っていました。
だけど、今、振り返ってみると、その奥に全く異なる望みがあったんですよね。
それは、
「カメラマンとして活躍して、みんなから一目置かれたい」
「一目置かれて、自分に価値を感じたい」
「価値ある自分になりたい」
このような望みでした。
そう、わたしは、「自分には何もない」って思ってた。
だから、起業することで、価値ある自分になりたかった。
割と行動はできる方だったから、起業塾に入って、がんばって活動して、
コンスタントに撮影の依頼をいただけるようになり、
雑誌の特集や、芸能人の方々の撮影もさせてもらえるようになったけど、
わたしの中の「自分には何もない」が埋まることはありませんでした。
むしろ、どんどん大きく強くなっていって、苦しさばかりが増した。
当時のわたしだって、「このままの自分じゃダメだ!」と思って、
いわゆる現状を否定し、ちゃんと行動を変えていったんですよね。
でも、どうしてうまくいかなかったかっていうと、
わたしは、そもそも自分の存在そのものを否定していたことで、
「偽りのやりたいこと」をキャッチしてしまっていたから。
「みんなから一目置かれる必要なんてなければ」
「そもそもこのままで価値ある自分なのだとしたら」
そうだったのなら、別に起業したいわけじゃなかったし、
バンバン稼ぎたいなんて嘘っぱちだった。
起業した方がかっこいい、稼げた方がいいに決まってるって信じて疑わないと、
自分を真っ直ぐに見れなくなるんだよね。
「別に起業なんてしたくない」
「別に稼ぎたいわけじゃない」
こんなふうに自分の中から湧いてきても、それを認めることができない。
そうやって自分のことを否定していると、
「本当のやりたいこと」はキャッチできません。
そんな状態の人が、行動できない自分を否定しても、土壺にはまるだけ。
そもそも、それ、やりたくないことなのかもしれないし。
前回の記事で書いた、こちらの文を例に挙げると…
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例えば、年収1,000万円を目指しているのに、
コンビニのバイトを続けているのだとしたら、
まずは、その自分を否定して、バイトを辞めない限り、
新しい環境(そして、理想の年収)は手に入らないといったものでした。
いくらがんばっても、いくら一生懸命スキルを磨いたとしても、
コンビニのバイトだと時給に限界があるからとのこと。
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本当に年収1,000万円を目指していたり、他にやりたいことがあるのに、
挑戦しようとせず、ただコンビニのバイトを続けている状態に甘んじているのなら、
そんな自分を認め、否定し、選択と行動を変えていく必要があるけれど、
そもそも本当にやりたいことが見えていなくて、
なんかそれっぽく「年収1,000万円」とか「起業」を目標に掲げている場合も多々ある。
前者と後者では、全く現在地が違うんですよね。
そして、その現在地によって、自分への対応も全く違ってくる。
だから、まず、自分自身の現在地を把握しなくちゃいけない。
もしそれが前者ら、「自分への喝」が適切な対応だし、
後者なら、「自己否定している自分に気づき、やめていくこと」が適切な対応だから。
「自分への喝」には愛ある厳しさ、
「自己否定をやめる」には優しさが必要。
何度も言うけど、リール動画の投稿者さんは、
「自分への喝」の意味で、「自己否定」って使っていたと思うの。
何となくでも、伝わるかな〜?
自分に目線を向けていると、言葉に踊らされることってなくなる。
言葉って、上辺のものだからね。
ぜひこちらのブログも読んでみてくださーい。