三浦 しをんさんの小説『舟を編む』の中で、

 

主人公(馬締 光也 / みっちゃん)に向かって、

下宿先の大家、タケおばあさんが放った言葉。

 

 

「頭でっかちのアンポンタン」

 

 

その前に、こんなやり取りがある。

ネタバレになったら、ごめんなさい!

 

 

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「俺は、考えることはいくらでもできますが、なにを考えたのかをひとに説明するのがうまくない。端的に言って、辞書編集部内で浮いているんです」

 タケおばあさんは、あきれたと言いたげに首を振った。

「みっちゃん。いままであんたが、浮いてなかったことがあるのかい。本ばっかり読んで、ここにだって友だちも彼女も一人も連れてきたことがないじゃないか」

「いませんから」

「だったらいまさら、なんで浮いてることを気に病むのかねえ」

 そういえば、なぜなんだろう。

 

(中略)

 

「みっちゃんは、職場のひとと仲良くなりたいんだね。仲良くなって、いい辞書を作りたいんだ」

 タケおばあさんに言われ、馬締は驚いて顔を上げた。

 伝えたい。つながりたい。

 自分の内心に渦巻く感情は、まさしくそういうことだと思い当たったからだ。

 

 

**********

 

 

ここからの

 

「ほんとにみっちゃんは、

 頭でっかちのアンポンタンだよ」

 

なのです!

 

 

ものすごーーーくノートに通じるな〜と思って、

ふむふむと頷きながら、読み進めました♪

 

 

昨日のディナー♡
尖沙咀(Tsim Sha Tsui)のスパニッシュレストラン「OM Tapas」。

 

 

小説の中では、タケおばあさんとの会話から、

馬締(主人公)が、「本当の願い」に気づくのだけど、

ノートに向かえば、これを一人で行なうことができる!

 

つまり、わざわざ誰かに悩みを聞いてもらわなくたって、

自分の中で完結することができる!

 

 

馬締は、部署内で浮いていることに悩んでいる(と思っている)。

そして、それは、考えを説明するのが下手だから(だと思っている)。

 

 

でも、それらは、ただのダミーであって、

 

本当の願いは、

 

職場の人たちと仲良くなりたい!

仲良くなって、いい辞書を作りたい!

 

だった。

 

 

そして、「今」を見たとき、

 

ありのままの姿で、すでに、

タケおばあさんと仲良くしている自分がいること!

 

これにも気づくことができた。

 

 

改めて、自分に対して、

 

「なぜ、そう思うんだろう?」

 

という、正しい問いを持つことの大切さがわかります♡

 

 

悩みがダミーであるということに気づかないと、

そして、「今、もうすでにある」という事実に気づかないと、

 

説明が下手だからダメなんだ!

だから、浮いてしまうんだ!

 

浮かないためにも、

考えを上手く説明できるようにならなければ!

 

といった、的外れな方向に向かうことになる

 

 

そして、

 

「説明が上手くなる方法」とか?

「コミュニケーション術」とか?

 

こういった類のテクニックに走り始める。

 

 

でも、そもそも、そのテクニックは、

「本当の願い」を叶えるためのものではないから、

いつまで経っても、心は満たされない。

 

 

だから、本当ーーーに、

テクニックよりも何よりもまず、

 

今の自分の「在り方」を知ること

 

これが大切だと思います。

 

 

すっとこどっこいな揚げ具合とテイストだったけど、笑、
見た目は小動物みたいで可愛かった♡
豆しば」というキャラクターに似ている…

 

 

そもそもの在り方が「今に何もない」だと、

 

いくらテクニックを学んでも、

知識を詰め込んでも、

コツを教えてもらっても、

 

その世界では、全てがないことになってしまうんです。

 

 

だって、「ある」を見ようとしないんだから!!!

 

 

わたしたちには肉体があるので、

誰もが、当たり前に「不足」も「不満」も感じます。

 

そう感じること自体がなくなるわけじゃない。

 

 

だからこそ、その肉体の感覚だけに惑わされずに、

脳があーだこーだ言ってくるのを一旦黙らせて、

 

魂の目線(=本当の自分の目線、俯瞰した目線)に立ち戻って

 

「全て喜びだとしたら?」

「何の心配もないとしたら?」

「人生甘いとしたら?」

 

といったように、「仮定」で聴いていく♪

 

 

と言ってるのに、笑、

 

肉体の目線をまた引っ張り出してきて、

「不満だらけの日常を生きている自分の感覚」を頑なに握りしめて、

 

「全て喜びだとしたら?」

全て喜びなんて思えませんけど!

 

「何の心配もないとしたら?」

そんなの無理なんですけど!

 

「人生甘いとしたら?」

人生そんな甘くありませんけど!

 

ってやってるから、一向に進まない。

 

 

そうは思えないというのは、肉体の感覚だから

 

そうは思えなくても、

「そうだとしたら?」で聴いてみるんです

 

 

最近、大きな気づきがありました。

 

 

「今には何もない」という在り方の人は、

掴みにいくまでが楽しいんだということ。

 

でも、そこにたどり着いた瞬間に、

「もうそこには何もない」と決めつけて、

「次に何かないかな〜」と探しに出掛けてしまう。

 

全ては「今、ここ」にあるのに、

自分が「今、ここ」を不在にしているから、

結局、なーーーんにもない(としか思えない)ままが続く。

 

 

こうして、セミナージプシーが生まれるんだと思います。

 

 

実は、セミナーや講座を受けた後に、

行動するかどうかは全く重要でなくって、

 

「今、ここに全てがある」という在り方か、

「今、ここには何もない」という在り方か、

 

もはや、この「在り方」の違いなだけだんだよな〜。

 

 

食前に、「Gosset Grand Blanc de Noirs」を飲みました〜。

 

 

「今には何もない」

「ここには何もない」

「自分のいる場所には何もない」

 

という世界観で現実を見ている以上、

今の現実から見出せるものは何もない。

 

 

本当は、

 

「今にしか」

「ここにしか」

「自分の内側にしか」

 

わたしたちの求めるものはないのに。

 

 

だから、まずは、そんな自分を直視して、

 

「頭でっかちのアンポンタン」だと自覚しろ!

 

って思います。

 

 

これさえ自覚すれば、ノートにつまづくってことはない

 

 

これまでの悩みが的外れだったと気づけるし、

気にしているポイントがズレまくっていたこともわかるし、

 

何より、

 

本当の望みが見えてくる♡

 

 

そうすれば、叶うのなんてあっという間なんだから。