ノートを書き始めてからというもの、
どんどんどんどん思いどおりの現実が現れるようになった。
こんな言葉、過去のわたしに聞かせたら、
「そんな上手い話はない」
「スピリチュアルみたいな、ふわふわした話はやめて」
そんなふうに思ったに違いない、笑。
けれど、今回、思いどおりの現実を生きるのに、
「なぜ、ノートが有効なのか」という部分を、
ちゃんと言葉にできたので、書いてみようと思う。
さっき、雨が降った。
降り出す瞬間の雨音が好き。
現実は、自分が信じているようにしか見えない。
当たり前のように、
「わたしは◯◯である」
と思って生きているけれど、
それこそ、自分の信じていることで、
しかも、わたしたちの脳は、起こる出来事から、
自動的にその(=自分の信じていることの)証拠を集めようとする。
だから、信じているものが、必ず目の前に現れる。
「◯◯」に入るのは、例えば…
ブスとか、
デブとか、
バカとか、
貧乏とか、
自己肯定感が低いとか、
はたまた、
可愛いとか、
スタイルがいいとか、
頭がいいとか、
お金持ちとか、
自己肯定感が高いとか。
もーーーっともーーーっと細かいところまで、
あらゆることを信じて生きている。
そして、「わたし自身」と、その「信じていること」が、
頑なにくっついて、一体になっているときには、
まるでそれが「事実」であるかのように感じられる。
でも、これは、わたしが信じようと思って、
自分の中に採用したことであって、決して「事実」ではない。
これ、頭の中でいくら理解しようとしても、グルグルするんです!
だから、わたしと一体化してしまっている「信じていること」を、
一度、自分の中から取り出してみないことには進まないんです!
ここで、ノートの出番!!!
なぜなら、ノートに書き出すのが、
一番早くて、簡単で、明確で、わかりやすいから。
昨日、一目惚れした「DAYCRAFT」のノート。
わたしは、ふにふに?ぬめぬめ?した質感のカバーが好きらしい♡
ノートに書く前は、
「わたしはブスである」
「わたしはデブである」
という、一つの視点(肉体の視点)しか持てず、
その視点を疑うことすらできなかったのに、
ノートを書き始めると、
「<わたしはブスである>と思っている自分がいるなぁ」
「<わたしはデブである>と思っている自分がいるなぁ」
という、新たな視点(魂の視点)を持てるようになります。
肉体の視点だけのときは、
「自分の信じていること=事実」だと思ってしまっているので、
どうしようもないような?
逃れることはできないような?
がんばって克服するしかないような?
一生、覆すことはできないような?
そんな絶望とも言える気持ちしか湧いてこないけれど、
魂の視点を持つと、
「わたしが思っていることなら、変えられる」
そのことが、体の感覚としてわかってきます。
えっ?!でも…
「みんなにブスって言われるし」
「体重が70kgもあるし」
そう思いたくなるけれど、事実は、
「◯◯さんが、わたしのことをブスと言った」
「わたしの体重は70kgである」
ただそれだけで、
「◯◯さんがブスと言ったから、わたしはブスである」
「体重が70kgあるから、わたしはデブである」
そう信じたのは(自分の中に採用したのは)、
間違いなく自分自身なんです。
で、前述のとおり、そうして信じたものの証拠を
集めるようなことを必死でやっているんです。
信じていることの方を疑うことなく…
持っている万年筆との相性もいい♡
そういえば、信じていることが現実になるという点で、
「これぞ、まさに!」と思う経験があります。
それは、アトピー全盛期の頃のお話。
このブログにも、何度か書いていますが、
わたしは、中学&高校の6年間、顔面から足の先まで、
全身に重度のアトピー性皮膚炎がありました。
傷だらけ、膿だらけ、
顔も腫れてしまってパンパンだったんだけど、
わたし、自分のことをずーーーっと
「可愛い」って思っていたんですよね、笑。
当時、わたしのことを「可愛い」なんて言ってくれるのは、
母くらいしかいなかったんですけど、
なんか自分の中で、それを採用していたんです、笑。
この頃は、まだノートに出合っていたわけではないし、
自分の信じていることが現実になるなんてわかっていなかったけれど、
赤ちゃんの頃から10年以上も、毎日、強いステロイドを塗り続け、
そのリバウンドで、症状がひどくなってしまったのにも関わらず、
高校3年生の夏休みあたりから一気に症状が治まって、
母だけでなく、いろんな人から「可愛い」って言ってもらえるようになったし、
何より今でも、自分で自分を「可愛い」と思っている(言うよね、笑)。
信じていることに、
現実が追いついてくるような感覚♡
ノートを使うと、これが意図的にできるようになります。
どんどん魂の目線が育っていくから!
そうすると、自分が信じたいものだけを信じられるようになって、
自ずと、思いどおりの現実を見ることができるようになるから!
みーーーんな、ノートを書いたらいいのに!
って思うのは、そういう理由です。