昨日、こんなブログを書きました(☟)
「わたしは◯◯である」
書き出してみると、(自分の中で)信じていることが、
たーーーくさんたーーーくさん見えてきます。
これって、無限にあって、到底全ては書ききれない。
だから、今、一番気になっていることたちが出てくるはず。
わたしの場合、よく「気が利かない」が出てきていました。
三姉妹の末っ子で、姉たちとも年齢が離れていたので、
いつもやってもらうのが当たり前の環境だったんです、汗。
ちなみに、姉たちからは、「お味噌ちゃん」と呼ばれている。
これは、「味噌っかす」、つまり、「使えない人」の代名詞、爆。
家族といるときは、それほど気にならないけれど(気にしろ!笑)、
社会人になってからというもの、
自分の気の利かなさにほとほとうんざりしていました。
そろそろ上海蟹の季節だね〜。
いつも思う、甲羅のニコニコが可愛い♡
特に、食事の席。
空いたグラスに飲み物を注ぐ、料理を取り分ける…
そういうのができない!そもそも気がつかない!
で、こういうときに、やりがちなのが、
「気が利く自分になろう」とすること。
いや、もちろん、それが間違いってわけじゃあないのだけど…
ただ、
「わたしは、気が利かない人間である」
↓
「だから、気が利く人になれるように、自分を変えよう」
これって、非常ーーーに難しいんです!!!
「気が利く自分になろう」とした結果、
今度は、空いたグラスを見逃さないこと、
いの一番に料理を取り分けることに必死になり過ぎて、
ぜーーーんぜん食事の席を楽しめなくなってしまった、涙。
前回のブログでも書いたけれど、
「わたしは、気が利かない人間である」と、
「自分自身」と、その「信じていること」が一体化している状態、
つまり、肉体の目線でしか見ていないときは、
やっぱり「気が利く自分になる努力」しか方法がないんですよね…
でも、
「<わたしは、気が利かない人間である>と思っている自分がいる」と、
「自分自身」と、その「信じていること」を切り離した状態、
つまり、魂の目線で見ることができるようになると、
「そう信じることをやーーーめた!」とすることができる。
わざわざ自分のことを気が利かない人間としない!!!
「夜上海」の上海蟹コース♡
小籠包は含まれていなかったので、別途オーダーしました。
そうすると、見え方が変わります。
だって、本当は、気が利く人になりたかったわけじゃなくて、
気配りができないと、
「周りからの評価が下がる」とか、
「みんなから好かれない」とか、
そっちを気にしていたのだから。
それだったら、
「会話を楽しむ」とか、
「料理を味わう」とか、
そっちにエネルギーを注ぎたい。
そして、自然と気づいたことがあれば、
声をかけたり、取り分けたりすればいい。
これで、どれだけ自分を責める気持ちがなくなったことか!
これで、どれだけ生きるのが楽になったことか!
「気が利く自分になる努力をする」
「気が利かない自分でいる努力をやめる」
同じことなら、簡単な方を選べばいいのです♡