息子の名前は、龍馬(りょうま)といいます。
坂本 龍馬からとったわけではなくて、
香港の象徴である「龍」と(香港生まれなので)、
彼が大好きな「馬」の組み合わせで名付けました。
ただ、姉宅に、漫画『おーい!竜馬』が全巻揃っていて、
「我が子に龍馬と名付けたからには、
一度は読んでおいた方がいいんじゃない?」
と勧められ、笑、読んでみることに。
息子に龍馬と名付けておきながら、
坂本 龍馬には微塵も興味がなかった、わたし。
しかし、読み始めたら、見事にハマッてしまい、
一気に全巻(全23巻)読み終えました。
そこで、気づいたことがある!
これまで、「歴史になんて興味がない」と言い放ってきたけれど、
それって、ただの思い込みだったのかもしれない、ということ!
興味がないわけではなくて、
「将来、何の役にも立たない」
「(歴史なんて知ってても)意味がない」
そんなふうに、自分の中から排除してきたんだ、汗。
本をはじめとして、何においても、
「将来、役に立つものを」
「周りからすごいと思われるものを」
「稼ぎに繋がるものを」
そうやって、心動かされるものよりも、
「何か意味のありそうなもの」という基準で選ぶくせがついてた。
最近、強く思う。
「自分を知ること」
これこそ、至福を感じられる唯一のことであり、
わたしたちが、人生をかけてしたいことだと。
なのに、興味が湧いても、したいことが出てきても、
その多くを、安易に「意味がないもの」と排除しているのだから、
「わたしは、何に興味があるのか」
「わたしは、どんなことが好きなのか」
「わたしは、何をしたいのか」
こういった自分に関する事柄に、
どんどん鈍感になっていくのは当たり前。
スティーブ・ジョブズが言うように(connecting the dots)、
一見、意味のないように思えることが、
将来、思いがけないかたちで何かに繋がるかもしれない。
ただ言えることは、それは、現時点ではわかりようがないってこと。
更に言うと、結局、何にも繋がらなかったとしても、
意味のないことのように思えたとしても、至福を感じられるのは、
自分が本当にしたいことに耳を傾けてあげられた、今。
何の功績にもならなくても、世の中のためになんてならなくても、
それでいいじゃないか!と思う。
意味のあることをしようとして、
本当の自分の声に耳を塞いでしまうことほど悲しいことはない。
「意味がない」と切り捨てた数々のこと、
それが、その姿勢が、晴れないモヤモヤとなっていたんだなぁ。
坂本 龍馬が、どんどん我が子に見えてくる不思議、笑。
自分を知っている人、自分を知ろうとする姿勢のある人は魅力的だ。
坂本 龍馬は、先見の明に長け、
近代日本の幕開けに数々の大きな功績を残した人物だが、
「自分がどう在りたいかを明確にわかっていたこと」
わたしには、とにかくここが魅力に映った。
最後の巻(23巻)を読み終えたのは、昨日。
全くと言っていいほど歴史に詳しくないわたしでも知っている、
暗殺され、生涯を終えるという、坂本 龍馬の人生。
漫画でも、映画でも、小説でもそうだけれど、
どうも気持ちが持っていかれて仕方ない。
ゆえに、昨日から、気持ちが沈んで仕方ない。
漫画に影響されて、沈んだ気持ちを引きずるなんて、
これまでだったら、やはり「意味のないこと」として、
すぐに切り替えようとしていたけれど、
今のわたしは、その気持ちにどっぷり浸かっていようと思う。
☝︎ 次に読み始めたのは、『百人一首 解剖図鑑』。
この本も、これまでだったら、絶対に手を出さなかった類のもの。