最近、『カンナさん大成功です!』という漫画を思い出しました。

 

「一度見たら夢に出そうなブス」だったカンナさんが、

全身整形手術を受け、誰もが振り返るほどの美女に生まれ変わるも、

どうにもこうにも美女の振る舞いがわからず、空回ってばかりいる…

 

要約すると、こんな内容です。

 

 

なぜ、この物語を思い出したかというと、

こんな発言に出くわしてしまったからなんですね。

 

 

発言をしていたのは男性なんですが…

 

「簡単にヤレる」

「すぐに股開く」

 

と、声高らかに公然とぶちかましていたわけなんです。

 

 

その男性の姿が、カンナさんと重なったんですよね。

 

 

本当のところはわかりませんが、わたしがその発言から感じたのは、

 

「モテる男は、放っておいても女が集まってくる」

「掃いて捨てるほどいるから、女を軽く扱っていい」

「モテる男は、女を大事にしない」

 

「だから、モテる俺はこういう発言をする!」

 

そんなような胸の内。

 

 

ひしひしと漂ってくる、絶対モテたことないだろ感…

本当は心の底からモテたいと切望してるだろ感…

本当にモテる人への劣等感…

 

 

やっぱり伝わるのは、言葉そのものなんかじゃない!

その言葉にのって放たれる、目に見えないもの!

 

 

モテたことのない人が、モテる人がしそうな言動を想像して真似ても、

実際にモテる人のそれと同じにはならないんですよ。

 

 

田舎暮らし×出不精だと、
なかなかクリスマスムードが味わえない、笑。

 

 

これはあくまでわたしが感じ取ったことですが、

なぜ、こんなふうに感じ取れたのかというと、

自分の中にも同じような部分があるからです。

 

カテゴリーは違えど、誰の中にもあると思う。

 

わたしは、カメラマンとして独立するにあたり、

起業塾に参加していたときに、そんな劣等感をぶちかましておりました。

 

 

「自分で仕事をしていくんだから、頭がキレる人でなければいけない」

「頭のキレる人は、鋭い質問をする」

 

 

そんな公式を成り立たせていたわたしは、

その場で、その人に、その質問をしたいわけじゃないのに、

聞きたいことなんて本当は何一つないのに、

所構わず、適当に質問しまくっていたときがありました。

 

鋭そうに!

頭がキレる人っぽく!

それなりに!

 

でも、実際にそうじゃないから、的外れなことばっかり聞いていて、

場の空気を悪くしたり、相手を戸惑わせたりしてた。

 

当時の関心事は、鋭い質問ができたかどうか、

そして、相手に「この人、頭キレる!」と思われたかどうかで、

聞いたことへの回答なんかどうでもよかった。

 

 

だけどね、わたしが本当の本当に望んでたことって、

こんなことじゃあないんだよね…

 

頭のキレる自分になることなんかじゃない。

それっぽい質問ができることでもない。

 

 

「そのまんまの自分を認めること」

「本当にしたい質問を、したいときにできること」

「頭の回転が早いかどうかなんか気にしなくてよくなること」

「そこに自分の価値を置かないこと」

 

 

頭キレる風を装っていた痛い自分を認めたら、

こんな本当の望みが見えてきました。

 

そうすると、本当に聞きたい人に、聞きたいことだけを、

聞きたいタイミングで聞くことができるようになって、

結果、的外れな質問をすることがなくなった。

 

わたしは、これを望んでたんだ。

 

当時、鋭い質問をしているように見えた人も、頭がよさそうに見えた人も、

きっとただこんなふうに聞きたいことを聞いていただけなんだと思った。

 

 

だから、カンナさんで言えば、

本当の本当の望みは「美女なわたし」なんかじゃなくて、

 

「外見で価値を測らなくてもよくなりたい」

 

なんだと思う。

 

 

例の発言をした男性で言えば、

本当の本当の望みは「モテる俺」なんかじゃなくて、

 

「モテるかどうかすら気にならない自分になりたい」

 

なんだと思う。

 

 

そのくらい、本来は、ただ自分を生きたいんだと思う。

 

 

長くなったので、また後日続きを書きます〜♪