今日は、LINE@にいただいた質問にお答えします。
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ノートワーク、参考にさせてもらってます🖋
私は幼少期に経験した母親のヒステリーが原因で、
ネガティブな感情を出すこと自体に
ネガティブなイメージを持ってしまっています。
いくら向き合っても、これだとなにも進まず、とても困っています。
“そもそもネガティブ感情が嫌い”で立ち往生してしまっている人は、
どうすればよいでしょうか。
もし答えてくださったら幸いです。
よろしくお願いいたしますm(_ _)m
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ご質問くださり、ありがとうございます!
幼少期の養育者のヒステリーは、ダメージが大きいですよね。
わたしにとっては、父がそれに当てはまります。
怒りを感じたら、そのまま外に放つ。
今でも嫌だと感じるし、適度に距離を保って関わっています。
質問者さんのお母様のヒステリーというのが、
どのようなものなのかわからないので、
わたしの経験を元に回答していけたらと思います。
一つ言えるのは、父と同じように、
わたしの中にも「怒り」という感情が存在すること。
そういった意味で、わたしも、父と大して変わらないんです。
父だけでなく、どんなに素晴らしいと世界中から賞賛される人とも、
どんなに凶悪な犯罪者とも、自分は然程変わらないと思っています。
それは、誰の中にも「全ての感情」が存在しているという点で!
世界中から賞賛される人が、ポジティブな感情だけを感じていて、
凶悪な犯罪者が、ネガティブな感情だけを感じているわけではないはず。
みんな、あらゆる感情を味わいながら生きてる。
で、その感情には、善悪もないし、優劣もありません。
もちろん不快になるようなもの(感情)もあれば、
快を味わえるようなもの(感情)もある。
ただ、それは、肉体が心地よいかどうかの差であって、
感情そのものは全て対等です。
このことを腑に落とせたとき、わたしは、まず、
いわゆるネガティブな感情が自分の中に存在することを許せました。
それまでは、感情って自然と湧いてくるものなのに、
「これは感じてもいいけど、これは感じちゃダメ!」ってしていて、
それが何とも苦しかったんですよね。
だから、腹の底から「感じちゃいけない感情はない」と思えたことは、
大きな一歩だったように思います。
母の日に買ったケーキ♡
ちゃっかり自分の分も買った、笑。
とは言え、じゃあ、感じたままに表現すればいいのかと言ったら、
それはまた別の問題で、
わたしが父に対して、そして、質問者さんがお母様に対して、
嫌だと感じる原因はここにあるのだと思うんです。
「自分を通さないまま、感情を他者に向けて放つ」
もちろんわたし自身にこういった経験がないといったら嘘になるし、
むしろ、怒りで暴言を吐いたことなんて五万とあるし、苦笑、
そうする自由すら与えられているというのは大前提なのだけど、
そんな自分を疑問に思って始めたのが、ノートでした。
なんか自然と綺麗な自分でいようとしてしまうんでしょうね。
誰に見られるわけでもないノートに向かっても尚、
ネガティブな感情なんて感じませんけど?ってやってた。
そんなことないのに、笑。
そんなことやってても意味ないのに。
だから、最初は、ノートに向かっても、
ぜーーーんぜん正直な気持ちが出せませんでした。
感じているのに、文字にできないんです。
汚い自分を認めてしまうようで、かなり抵抗があって。
でも、「全ての感情は対等」という目線をもつようになって、
少しずつどんな気持ちでも出せるようになっていきました。
いきなりそうなったわけではありません。
本当に少ーーーしずつ少ーーーしずつ。
息子が保育園で作ってきてくれた、母の日のプレゼント♡
おすまし顔で絵を描く姿が愛おしいです、笑。
こうしていくうちに、ネガティブと思っていた感情がきっかけで、
自分の中の詰まりに気づき、好みの生き方を知り、器の広がりを感じ、
結果、世界がまるで違って見えたという経験を何度もしています。
そう思うと、不快な感情も、わたしにとって、
すごく大切なものだと感じられるようになりました。
同じ「感情を出す」という行為でも、
感じたままに、ただ他人に向かって放ちまくるのと、
わたしの人生をよりよくするヒントとして受け取り、
自分を知るためにノートに書き出すのとでは、
全く違った意味をもつし、
目に見える現実も明らかに変わってきます。
そう考えてみると、「そもそもネガティブな感情が嫌い」から
一歩抜け出せるのではないかなと思いました!