「切り取る」よりも「収める」という表現が好き♡

 

昨日、トイレについて思うことをストーリーにアップしたら、

みんながたくさん反応をくれた(嬉しい♡)。

 

いや、どんな話?!

まぁ、これから載せるので見てくれー。

 

 

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アラレちゃんついでに、今まで誰にもしたことのなかった話をしよう。

この場所、富士山が綺麗に写るんだけど、手前がトイレなのよ。
景観気にしたデザインにしてくれてるけど、トイレなの!トイレ!

やっぱり写ってるわけじゃないけど、用を足してる姿が浮かんじゃうんだよね。
だから、個人的にはなしなの。

なんかふと撮ってみて、やっぱりなしだよなって思いつつ、
この思いの丈を綴るのにぴったりなので活かします。

で、同じ理由で、お手洗いの鏡で自撮りもなしなのよ。
やっぱりどんなに綺麗なトイレだったとしても、用を足してる人が背景なんだよなあ。
(あくまでもわたしにとってはだけど、笑。)

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(アラレちゃんのくだりは、息子が木の棒でカマキリをつんつんしていたことから。)

 

 

皆さんは、いかがですか?

どう感じます?

 

 


↑ みんながくれたメッセージの一部はこちら♡

 

 

どう感じるかに正解はなくて、本当各々自由で、だからこそおもしろい!

 

おかげで、トイレタイムの概念が変わりさえしたのですが、

やっぱりどーーーしても写真を撮るとなると、

用を足している姿が見えてきてしまってダメなんですよね。

 

 


アラレちゃんのくだりの、カマキリつんつん。


カマキリの威嚇ポーズが迫力あってすごかった!
驚かせちゃってごめんね!

 

 

わたし、ずっと「生活の一部を切り取る」とか、「空間を切り取る」とか、

写真に対しての「切り取る」という表現に違和感があって、

だから、自分で使うことはしてこなかったんだけど(しっくりこなくて気持ち悪いから)、

とある写真家さんのインタビュー記事を見て、その理由がわかったんです。

 

それは、平間 至さんという写真家さんの記事でした。

平間さんの名前は知らなくても、TOWER RECORDSの

NO MUSIC, NO LIFE.」のポスターなら知っている人も多いでしょう。

 

かなーーり昔のことなので、公式の記事は見つけられなかったのですが、

行き当たったインタビュアーさんらしき方のブログをシェアします。

2015年、平間さんが東京に写真館をオープンするに当たっての取材だったみたい。

 

 

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写真は『収める』と言う言葉を使うでしょ。

収めるの意味を調べると、乱雑だったり、
無秩序なものを必要な空間に秩序をもってしまうこととある。

この言葉が写真にぴったりだと思うんです。
僕は、割と無秩序な世界を自分なりの価値観で秩序を持って一定のスペースに収めている。

写真を『切り取る』という言い方もあるけど、僕はあまり好きじゃない。
だって、切り取っちゃうと周りがなくなっちゃうでしょ。
『この風景をどう切り取るか』だなんて、
『切り取っちゃってごめんなさい』と思わざるを得ないですから。

写真は、いかにはみ出して発信していくかだと思うのです。
素晴らしい作品は、飾っておいても空間全体が変わるものですから。

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(最後のところ、「変わるもの」じゃなくて、「わかるもの」か「伝わるもの」な気がする! → ん?やっぱ「変わる」でいいのかも?わかんないや、ごめんなさい、涙。)

 

 

当時、この一節を読んで鳥肌が立った。

 

平間さんの写真に対する意識だったり、

思いだったりに感激したのはもちろんだけど、

 

『あぁ、だから、「切り取る」って表現に違和感があったのか』と気づけたこと、

『まさにわたしの感覚にぴったりなのは「収める」という言葉か』とわかったこと、

 

これが大きかったように思う。

 

写真って、その四方形の中に写る、目に見えるものだけじゃなくて、

上下左右とか、手前と奥とか、はたまた、写し手と被写体の関係性とか、

写ってはいないものまで伝わってくるんだよね。

 

 


虫を探しながら、浅間さん経由でイオンまでお散歩した日。
疲れたけど、すっごい充実した一日だったな。

 

 

からの、トイレの話に戻るんだけど(もはやトイレ自体が好きな気がしてきた、笑)、

個室とか、便器とか、用を足している人々が直接写っているわけじゃなくても、

その空間で撮った時点で、写真から伝わってくるものがあるのよ。

 

もちろん排泄は生活、人生、いや、命そのもので、

わたしたち生きとし生ける全てのものと切っても切り離せないから、

それを汚いとか、滑稽とか思うわけじゃないけど、

被写体となる人が美女であればあるほど、綺麗に着飾っていればいるほど、

背景とのギャップというか、コントラストになんか引っかかりを感じてしまうんだよね。

だって、やっぱり空間丸ごと収められてるわけだから。

 

ここで言うギャップとかコントラストって、

綺麗と汚いではなくて、見せるべきものと隠すべきものってかんじかな。

 

もちろんそのギャップのおもしろさみたいなものを伝えたい!とか、

トイレのデザインが素敵!とかだったら、話はわかるんだけどね〜。

 

 

って、別にオチも何もない話ですが、たまにはこういうのもいいかな。

トイレの話でこれだけ盛り上がれるって、平和だよね。

息子も「うんち」で爆笑するお年頃になってきました。

 

いや、何の話だったっけ?!

 

「切り取る」よりも「収める」という表現が好き♡

 

って話でした、笑。

 

 

 

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