毎年のように言っている気がするけど、もう12月なんて信じられない!
しかも、12月ももう一週間も経っているなんて…
笑っちゃうくらいのスピード感ね。
先月の話になるのだけど、一週間ほどロサンゼルスに行ってきました。
わたしの記憶が定かなら、今回初めてグリフィス天文台を訪れたんです。

グリフィス天文台とは何ぞや?!とAIさんにお伺いしたところ…
ロサンゼルスのグリフィス・パーク内にある歴史的な天文台で、
アール・デコ様式の美しい建物と、LA市街とハリウッドサイン、
太平洋まで見渡せる壮大な景色が最大の魅力です。
入場無料(一部有料施設あり)で、プラネタリウムや展示があり、
映画『ラ・ラ・ランド』などのロケ地としても有名で、ハイキングも楽しめます。
こんなかんじにまとめてくれました。
そんなこんなでこちらへ行くことにしたのだけど、
時差ボケ&移動の疲れからか一生起きる気配のない息子を待っていたため、
夕焼けを見る予定が夜景を見ることに…
でも、結果オーライで、これがとーーーっても綺麗だったんです!
正直な話、ロサンゼルスの街を歩いているとね、
臭いし、汚いし、薬物中毒者らしき人もふらふらしてるし、
決して綺麗と言えるようなかんじじゃないわけ。
でも、こうして高台から眺めると圧巻の景色なんだよね。
もうキッラキラしてるの。

こう思ったときに、ふと思い出した言葉があって…
「私たちは、海の景色そのものに近づくことは出来ない。海に近づけばそれは波になり、さらに近づくと水になる」
2019年に森美術館で開催された『六本木クロッシング2019展:つないでみる』
という展覧会の中の作品に添えられた言葉です。
この夜景にも同じことが言えるなと思った。
夜景そのものに近づくことはできない。
ただね、決して遠くから見ると綺麗だけど、
近づいたらそうじゃないってことが言いたいわけじゃない気がして。
ただ単に物理的に近づくことができないってことを言いたいのかな。
物理的に近づくと、景色そのものは見えなくなるということだよね。
それが、この肉体の目の限界ってことだよなー。
あっ、そうだ!
そのまま近づくことができる目があるじゃないか!
「源」の目だ。
そんなふうに自分の中でいろんなやり取りをしながら、
この作品の作者である現代アートチーム・目[mé]さんの記事を読み漁っていたら、
こちらの記事に行き当たって、わたしの中で何か確信めいたものを感じました。
この記事の中で、ディレクターの南川さんが、アーティストの荒神さんの発言や、
お二人のやり取りについて触れて、こんなふうにおっしゃっていたんですよね。
「景色に近づいたり、遠ざかったりする自分の肉体が邪魔なんじゃないか。いっその事、目をちぎって空中に投げてそこから見れたらいい」
「個体を超えてものを見る」
ん?!
それって「源」やん?!

あくまでもわたしの受け取り方ではあるけれど、
何だかわたしが日々発信している心のことと繋がるものを感じて嬉しかった。
こうして作品を通して表現されていることにもものすごく感銘を受けました。
やっぱり「源」を言葉やマテリアルで表現するって限界があるんだよね。
言葉もマテリアルもさ、肉体側(物質の世界側)のものだから。
それでも、自分自身の中を通したものを、
この世界で表現していくことの美しさを感じる。
「源」の目で見る景色は、綺麗・汚いを超えた、全てを包括した美しさがあるね。
ロサンゼルスの夜景もそうだなって思う。
だから、遠くで見ると綺麗だけど、
近づくとその美しさが見えなくなるといった、そんな平たい話でもないのだ。
目をちぎって空中に投げることはできないけれど、
「源」の目を開くだけで、この世はこんなにも美しい。

