わたしの父はお酒を飲むと、日頃の恨みつらみみたいなものを
もうとにかくこっちに言葉を挟む隙を与えないくらいに
だぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっと伝えてくるんです。
住んでいるのは同じ市内だし、息子を預かってもらうことも多いので、
実家で一緒に暮らしてもいいと言えばいいのですが、そんなこんなで、
できるだけ父と距離を置きたいのもあって、別で家を借りて住んでいるし、
実家に行っても、父が酔い始める前に退散するというのが通例。
でも、先日、ちょっと気を抜いて長居したら、始まってしまいました、汗。
ここぞとばかりに、気に入らないところを突つくみたいなやつが、苦笑。
逐一覚えていられないくらいいろーーーんなことを言われたのですが、
鮮明に覚えている一言があって、それは、
「食べ物も同じ。お腹が膨れるんだからおーなーじ」
という一言。
わたしと母の会話を耳にして、口を挟んできたのですが、
残念ながら、母と何をしゃべっていたかまでは忘れてしまった。
確か「過程は違うけど、結果は同じだから、どっちでもいいよ」みたいな、
まぁ要約するとそんなかんじの話だったかと思います。
先日お邪魔した西千葉のお店。ここ、すごく美味しかった。
どこかに行くとなったら、真っ先に美味しそうなお店を探します。
なぜ父がこんな一言を放ってきたかというと、
わたしは食べることが好きだし、母は料理をするのが好きで、
「あのレシピで作ったあの料理が美味しかった」とか、
「あのお店のあれが美味しかった」とか、よく二人で話しているんです。
父は、それが気に入らない。
例えば、麻婆豆腐一つとっても、いろんな味があって、
わたしは、自分が「美味しい」と感じるものを食べたいし、
そのためなら、多少の時間・お金・手間はかけてもいいと思っています。
母は、いろんなレシピを作り比べてみて、
みんなが「美味しい」と言ってくれるものを見つけるのが好き。
でも、父は、どれも同じなんだから、そんなことしなくても、
スーパーでレトルトを買ってきて食べればいいという考え。
別に父がそう思うのなら、自分は自分でやっていればいいと思うんだけど、
こっちまで「はい、そうですね」とならないと気が済まない。
で、終いには、
「そんなことに手間暇かけるなら、もっと他に大切なことがあるだろ!」
とか言ってくる。
でも、わたしにとっては、「美味しい」と感じられることがすごく大切なんだ。
それが何にならなくても、何に繋がらなくても、今この瞬間そう感じられることが大切。
だって、別に美味しいと思わないレトルトなら食べなくていいもん。
「珈琲とワインのある暮らし 25」というお店です。
壁のイラストもすごくセンスがよかった。
「会話に入っていけなくて寂しい」なのか、
「味のわからない自分が劣等感」なのか、
「自分の意見に賛同してもらえなくて悔しい」なのか、
父の発言の大元みたいなところはよくわからないけれど、
そこをちゃんと自分自身で見ようとしてあげさえすれば、
もう少しまともな伝え方もあるでしょうに、と父を見ていて思うわけです。
以前、友達と食事をしているときに、
「さやちゃんは食が好きだよね〜」
「わたしはそうでもないんだ〜、結構食べるものは何でもいい」
と言われたことがあって、それがすごく気持ちよかったんですよね。
わたしからすると、その友達はジュエリーが好きで、
素敵なジュエリーをたくさん知っているし、たくさん持っている。
だけど、わたしは、ジュエリーにそれほどの興味はない。
ただ、心惹かれるものが違うだけ。
それを知っている者同士、
そして、自分の好きなものを自分でちゃんと認めている者同士だと、
別に相手が自分と同じものに興味を持っていなくても全然構わないし、
相手の好きなものだって心から尊重できる。
わたしは「食」が好き、あなたは「ジュエリー」が好きでいいじゃない?
自分が大切だと感じるものを大切にしていればいい。
どっちが上でもどっちが下でもない。
どっちがいいとかどっちが悪いとかでもないんだからさ。
それで話は終わる。
とっても平和じゃないか。
なのに、自分が本当に大切だと思うもの、好きだと感じるものを大切にしないで、
なんか世間一般的によさそうなもの(例:効率・生産性・節約など)を大切にするから、
どんどん訳がわからなくなるのかなと思った。
だから、好きなものをただ真っ直ぐに好きと言っている人にケチをつけたくなるのだとも。
実は、父ネタ、めっちゃあるんだよねぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ。
一見すると愚痴っぽくなるから少々控えめにしてるけど、
「そうくる?!」みたいな爆笑エピソードも結構あるのよ。
またタイミングを見て書きますね、笑。