あともうちょっとだな、2015年。
これまで生きてきた中で、これほど変化のあった年はないんじゃなかろうか。
1. 香港への引越し
2. アシスタントに挑戦したこと
このふたつの出来事が、最も大きな変化だったかな。
日本にしか住んだことがないうえに、英語すら怪しいわたしが、海外で生活することになるとは。
すでに日本のよいところばかりが目につくけど、これからたくさん香港のよいところを発見していこう。
この変化の波は、帰国するまでの約4~5年続くと思われる。
・ 日常会話がストレスなくできること
・ 香港でもカメラマンの仕事をすること
これが、一先ずの目標かな。
来年の今頃は、どんなふうに過ごしているんだろう。
不安もあり、楽しみでもあり、いろんな意味でドキドキします。
そして、実は、密かにずっと憧れだった写真家さんのアシスタントに挑戦したのも、今年の話。
思えば、年初は、おじいちゃんが亡くなったばかりで、よくわからないふわふわした気持ちで過ごしていて。
何にも手につかない状況に、このままじゃいかんと思い、去年の夏頃から迷いに迷っていた、その写真家さんのアシスタントに勇気を出して応募してみたのでした(おじいちゃんが背中を押してくれたのかなと思っている)。
すんなりOKなんてわけにはもちろんいかなくて、「もう少し若ければ」とか「男だったらなぁ」とか、「アンダーグラウンドな世界だけど、覚悟はできてる?」とか、散々断られました。
本当に散々…
三度目の正直で、何とかアシスタント生活をスタートするも、業界の知識がゼロのまま飛び込んでしまったため、緊張と恐怖に見舞われる日々。
一人で普通に道を歩いていても、すごい世界に足を踏み入れてしまったと、ふと緊張に襲われ、足がすくみそうになったこともしばしば。
しかも、その写真家さん(以下、師匠)は家事と育児を優先させていて、月に3~4回しか撮影を入れていなかったため、以前からのスクールカメラマンもブライダルカメラマンも続けながらだったので、完全にショートしてた。
その頃のわたしは、頭から煙出してたと思う。
これまでの仕事をすべて辞めて、師匠と(すでに独立している)兄弟子の両方を掛け持ちでアシスタントするのはどうかという話をもらったのだが、その兄弟子のことを心から尊敬できなかったことと、以前からの仕事をどうしても手放すことができなかったことが原因で、結局、アシスタントを辞める選択をしました。
とても短かったけれど、とても濃ゆかった数ヵ月。
「わたしが欲しくて欲しくて、40歳手前でやっと手に入れた幸せを、あなたはすでに手にしてる。その幸せを壊してまでアシスタントになる必要はない。」と、最初に言われたとおりだったのかもしれない。
やっぱり欲張りだったんだな、自分。
そのせいで、本当にいろんな人を振り回したし、覚悟が不足してたなとか、打たれ弱いなとか、本当にだめな自分を目の当たりにして凹むことも多かった。
でも、これまで気づけていなかった、自分の置かれた恵まれた状況に気づけたし、何よりスナップ撮影が好きなのだと再認識できた。
それに、アシスタントを続けることはできなかったけど、憧れだった方の元で仕事をすることができたから、がむしゃらになれば何でも可能になるんだと実感した。
だから、決して無駄な時間ではなかったと思う(というか、思いたい)。
スクールとブライダル、どちらの事務所にも、香港に拠点が移ってもお仕事をくださると言ってもらえたし、わずかながらではあるけれど、現地でも新たな撮影に携わることができそう。
非常に有難いお話です。
新たな生活は、夫婦で支え合って、充実させていこう。
2016年も楽しみである。
写真は、父のカメラコレクションの中からもらった、MINOLTAのフィルムカメラ。
シャッター音が気持ちいい!
三姉妹みんなに、それぞれ大層なアルバムを残してくれている、父。
アシスタント時代に言われた、「遺伝子は裏切らないからな」という言葉を思い出す。
カメラマンになるのは必然だったのかもしれない(そう思ってもいいですか?笑)。
紅白、始まったな。
いやはや、よいお年を!
さよなら、愛しき2015年。
camera:iPhone5