ここ数日、本当チッキショウ祭りでしたーーー、涙。
修理に来てもらったはずなのに、
照明が高速点滅し始める、
からのーーー、
お手洗いのみーーずーーもーーーれーーー!!!
水漏れ騒動で覗いてみたら、こんなことになってた!!!
建てつけが香港クオリティ、笑。
深夜までマンションの守衛さんとやり取りしたり、
翌朝も、「玄関の外まで水が漏れてきている!」と、
掃除のおばちゃんの鳴り止まぬノックで起こされたり、
自宅のお手洗いが使えないため、
わざわざ近所のモールまで借りに行ったり、
数日に渡って、修理の業者さんが出入りしたり…
もうほとほと疲れて、丸二日ほど、
毎朝、ノートに書いている「今日の10個の感謝」も書かず、
愚痴だけ書いて終わらせる日々を過ごしていました。
その中に、
「トイレさえ壊れなきゃ、普通の日常なのに、
なんでこういうことが起こるわけ?!」
って書いていて、はたと気づいたことがあります。
わたしが「普通の日常」と思っていることさえ、
ただの「幻」なのかもしれないと…
だって、
「自宅のトイレが使える状況」って、
そもそも誰が保障しているものでもなくて、
本来、あるべきものなわけでもなくて、
自分の中で、勝手にその状況が整っていることを前提として、
「普通の日常」
としているだけなんだから。
だから、こういった事態に陥ったときに、
不当に「普通の日常」を奪われた気になってしまう。
誰も奪ってなんかいないのにね。
どこかで同じようなことあったなぁ、って思ったら、
コロナウイルスだったーーー!!!
**********
・巣立ちの3月、突然奪われた子供たち
・臨時休校「一生の思い出」奪われた子供たち
っていう「幻」を、私たち大人が率先して言ってるこの時代、本当にやばいですよ。
だって、あったよ。
3月1日から、3月31日まで、
毎日ちゃんとあったって。
「休みになった1日があった」って。
「休みになった学校生活があった」ってば!
簡易になった卒業式が「あった」し
思い出に残る寂しい卒業式が「あった」し
親が一人しか来れない、通年より寂しい入学式が「あった」
悲しさも
悔しさも
寂しさも
あった。
あることしかこの世にはないはずなのに
奪われた
無くなった
ということにする人。
これが我々創造主が、どんな世界を創るかの分かれ道。
「こうだ」と見るには「なぜなら」という理由が必要だ。
奪われた、無くなった事にも「理由」が必要だ。
だから何かのせいにする
コロナのせいで
政府のせいで
旦那のせいで
親のせいで
子供のせいで
お金のせいで
時間のせいで
叫ぶ!叫ぶ!ぶつける!
放つ!放つ!
そうやって創造していく。
「理由」があるから「こう見える」わけじゃない。
逆なのだ。
「こう見る」と決めたからこそ、そう見える「理由」を脳が必死で探し出す。
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得られるはずと思っているのは、自分の勝手で、
本来、この世に約束されたものなど何もない。
変化することが当たり前なのだ!
大きな変化の波の中で生きているのだ!
もちろん、照明は点滅なんてしない方がいいし、
自宅のお手洗いも使えた方が快適なんだけど、
だからといって、そうでないときを、
「奪われた!」と被害者面で過ごすのではなく、
どんな「今」からも、
あらゆることを受け取れるわたしで在りたい。
こんな「今」は嫌です!
こんな「今」がいいです!
という選り好みをするのではなく、
与えられた「今」を大切にし、
そこで得られる「経験」に喜びを見出し、
全て「糧」にしてゆく在り方。
深夜、守衛さんと一緒に我が家に点検に来てくれた、
同じマンションに住むYenさん。
英語が苦手な守衛さんとの間で通訳をしてくれたり、
大家さんに状況を説明してくれたり、
「僕の名前は日本の通貨単位と一緒なんだよ〜、笑。
僕は日本が大好きだよ。」
なーーーんて言って、
日本に旅行に行ったときの写真を嬉しそうに見せてくれた!
大家さんが手配してくれた、修理屋のお兄さんは、
缶ビール片手にやって来て、飲みながら作業をしていた、笑。
おかげで、「飲みながら仕事するなんてあり得ない」という、
自分の中にあった、強固な設定を変更することにも成功!
強面(こわもて)で、滅多に笑顔を見せない、
お昼担当の守衛さんが、猫にデッレデレなことも知った!
我が家の猫が可愛くて仕方なかったのか、
「撫でてもいい?(ワクワク)」
「写真撮ってもいい?(ワクワク)」
と、目をキラキラさせているおじさんの姿に
超絶癒されました(もう怖くない!笑)。
何より、連絡したら、即修理の手配をしてくれて、
連日、我が家に足を運んでくれた大家さんには、
感謝の気持ちでいっぱいです、涙。
溢れて止まらないトイレの水を目の当たりにしたとき、
「本当最悪!!!」
という気持ちがこみ上げてきて、
めちゃくちゃ凹んだけれど、
無理に気分を上げようとしない自分がいました。
かといって、その感情だけに飲み込まれて、
我を忘れるなーーーんてこともない。
脳内では、やっぱり「よい悪い」を判断していて、
トイレが水漏れするなんて、
どう考えたって「悪い」に分類される事態なんだけど、
ちゃんと魂目線に立ち戻れば、
全て対等な「今」
だということがハッキリとわかる。
日々、ノートに向かって、
自分の感情を俯瞰して見る習慣があったからこそ、
感情に飲み込まれそうになっても、
ちゃんとニュートラルに戻れるわたしがいました。
照明が点滅せずにつくことって、
自宅のお手洗いが問題なく流れることって、
本当ーーーに!本当ーーーに!快適で、
めーちゃーくーちゃーーー幸せなことでした、笑。
快適な「今」にありがとう♡
この「経験」にありがとう♡