ノートを書き始めた当初、新月を迎える度に、
しっかり「新月の願いごと」をしていました。
当時のノートを見返していたら、
「愛する人との赤ちゃんを授かりました」とか、
「たくさんのお金を手にしています」とか、
そんなふうに書いてある、爆。
読み返していて、
「何これ?!超恥ずかしい…」
って思ったんだけど、それもそのはず。
当時と今とでは、わたしの中で、「願いごと」が、
全く異なる位置づけになっていることに気がつきました。
マンダリンオリエンタルの25/Fにある「文華(Man Wah)」で飲茶♡
この8月からリノベーション期間に入るらしく、滑り込みでお邪魔できた〜。
どういうことかと言うと…
今でも、子どもは欲しいと思っているし、
お金もあればあるほどいいと思っている♡
ただ、以前の感覚は、子どもがいない人生なんて虚しい!だったし、
このまま欲しいものが満足に買えない人生なんて嫌だ!だった。
そう、「願いごと」って、当たり前のように、
今に不足を感じているからするものだと信じていて、
だからこそ、「叶ってくれなきゃ困る!」と必死で、
「常に追いかけるもの」だった。
今はどうかと言うと、
「叶っても叶わなくてもいいもの♡」
と、本気で思っている。
本当に望んでいるのは、
「子ども」でも「お金」でもなくって、
「必死で何かを望まなくてもいいくらい、
今に満たされ、幸せを感じられること」
だとわかっているから。
しかし、これ、上辺だけでやると、めちゃくちゃ苦しくて…
実は、昔のノートには、
「愛する人との赤ちゃんを授かりました」の後に、
「子育てという貴重な経験ができます!」
「たくさんのお金を手にしています」の後に、
「パートナーや家族、社会に還元できています!」
こんなふうに文章を続けているんだけど、
やましさが満載過ぎて、見ていて辛くなりました、苦笑。
幸せそうに子育てしている人や、
思いっきりお買い物ができる人が羨ましくて、
「わたしもそんなふうになりたい!」
「これさえ叶えば、幸せになれる!」
と思って、せっせと願いごとをしているくせに、
その一方で、
「今に不足を感じている自分」
「誰かを羨ましいと思っている自分」
ここは認めたくなくて、
「子育てという貴重な経験をするために、子どもが欲しいです!」
「みんなに還元するために、もっとお金が欲しいです!」
みたいな、非常ーーーにいやらしい願い方をしてた、爆。
「願いごと」じゃなくて、
そんな「やましい自分」を見ろ!!!
と、当時のわたしに言ってやりたい…
クラシックで女性的な内装で、まるで物語の中にいるみたいだった♡
お料理の味も、サービスも、本当の上品で上質でうっとり〜。
自分がどんな「在り方」で生きているのか、
ここから目を逸らしたままでは、
どんなに毎月毎月、真面目に「新月の願いごと」を書いても、
どんなに毎日毎日、一生懸命願ったとしても、
単なるパフォーマンスで終わってしまう。
だって、「願いごと」って、願ったから叶うんじゃなくて、
「在り方」のおまけのように叶っていくから♡
長くなりそうなので、明日につづきます〜。
(つづく♡)