前回の続きです!
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自分の中にあってはいけないものがあるとすごく苦しい。
そして、その苦しさこそが、実際に引き寄せが起こっているところ。
だから、まず認める。
思考の声に無意識のまま従うのでも、
思考の声をなかったことにするのでもなく、ただ認める。
認めるから、黙らせることができる。
それからなのよ。
この肉体を従わせるべき、「本当の声」が聴こえてくるのは。
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思考の声をそのまんまにしていると、全然聴こえてこないんですよ。
誰の中にも必ず「本当の声」があるのに、雑音にかき消されて聴こえない。
だから、先にそのうるさい声を黙らせないといけないのに、
そのためにまず必要な「認める」がなかなかできないんだ。
なぜか?
認めたら、負けな気がするから。
ポジティブ思考がいいってしていると、自分の中に、
いわゆるネガティブな感情が存在しているのを許せない。
「他人を羨ましく思う」とか、
「もっといい生活を望んでいる」とか、
「悔しい気持ち」とか、そういうの。
これ(感情)って、本当ーーーにただの表面上の話で、
今思うと、めちゃくちゃくだらないんだけど、
以前は、真剣に、そして、必死になかったことにしてたなぁ。
▶︎ ブログ『モテたいんじゃない。モテるかどうかすら気にならない自分になりたい。【大切なのは、痛い自分を直視すること①】』
このブログ(↑)に書いていることにも繋がる。
「本当はものすっっっごく心の底からモテたいと思っている」とか、
「美女の振る舞いができない自分にほとほとうんざりしている」とか、
「頭のキレない自分がどうしようもなくダメな気がしている」とか。
そういうの全部全部。
今使っている、ノートと手帳とペンケース(とペン)。
お年賀でもらった銀座千疋屋の羊羹がいいかんじで合っていた。
ノートタイムに、コーヒーと甘味は必須なのだ。
認めてしまえば、「本当の声」という、愛あるところにたどり着くのに、
何の勝負をしてんだかわかんないけど、笑、
認めてたまるか!
負けてたまるか!
とやっている。
さっさとそんなくだらない勝負をしていることを認めて、
どんなにしょうもないと思えるような思考だとしても、
自分を知ることにだけ使えば、必ず糧にできるのに。
本来は、勝ちも負けもない!
わたしたちは、何もそんな勝負をしたくて生きてるわけじゃない!
認めたところで、自分の価値に影響はない!
そう思うと、べらべらべらべらしゃべり続ける思考も、
「あんたは、本当おしゃべりね」
くらいの気持ちで見つめることができませんか?
もう少しだけ続きます〜♪