気づけば、1ヵ月以上もブログを更新していませんでした。
そんなこんなの間に、息子が2歳になりました!
おめでとう!
風ライブの記事が途中だけど(いつ完結するやら)、
息子のお誕生日のことを書こうと思う。
家族写真を撮ってもらいました♡
0〜1歳までの一年も、もちろんものすごく可愛かったけれど、
1〜2歳の一年は、胸が詰まるくらい毎日本当に可愛くて、
正直、このままどうなってしまうんだろう?!と思っています。
最近、ふと思う。
奇跡は、どうも「当たり前」の顔をして現れるようだと。
可愛いや愛おしいだけじゃない、煩わしさやめんどくささも感じる。
一緒に寝て起きて、平日はバタバタと保育園へ送り、定刻に迎えに行き、
休日は有り余る体力に「早く遊び疲れて寝てくれ」と思うこともある。
だけど、全てそんな顔した「奇跡」なのだと。
コウノドリの主題歌だった、miwaさんのこの曲。
何度も聴いているのに、いまだに毎回泣いてしまうんだけど。
『あなたがここにいて 抱きしめることができるなら
私もう他になんにもいらない』
『あなたが笑って 私の隣にいてくれたら
ありふれた毎日で かまわない』
これこそが、本質。
みんな、本当は十分だって気づいている。
もう他に何も必要なものなどないとわかっている。
わたし、藤本 さきこさんのこちらのブログ記事が大好きなのですが、
お金
旅行
ブランド品
ハイジュエリー
豪邸
高級車
5つ星ホテル
高級ディナー
結婚
ハイスペ
エリート
イクメン
その他諸々…
それらを望むことがいけないという話ではないし、
むしろ、拗らせずに真っ直ぐ望むだけ望んだらいいのだけど、
そういったものに目を眩ませて、この目の前にある、
ありふれた毎日のきらめきを感じられなくなるのなら、
それこそ、なんてつまらない人生だろうと思うのです。
上に挙げた何もかもが、我が子の、そして、
自分自身の命の価値と並べて語れるものではないのに、
なぜか、それを同じ土俵に上げて考え出すから迷走する。
「命の価値」を知っている。
これこそが、人生をキラキラしたものにしてくれる。
いや、ちょっと違うな…
人生は常にきらめきと共にあるんだけど、
自分の目が濁っていると、そう感じられないんだよね。
命の価値と、その他諸々の価値は別物だと知ることは、
その濁った目をクリアにしてくれる。
大事なのは、今、目の前にあるきらめきを
ちゃんと受け取れる自分で在ること。
「こんなの当たり前過ぎる」
「こんな人生、ありふれている」
と吐き捨てて、ぞんざいに扱っているのは、
他でもない自分なのだと気づくこと。
今日も、この腕で龍馬くんを抱きしめられる。
その笑顔も、泣き顔も、全てこの目に焼きつけられる。
妊娠・出産・子育てを通して感じられる全てが愛おしい。
この当たり前の毎日に、ありふれた日々に、心から感謝します。
いつだって、わたしたちは「奇跡」を受け取っている。
そのことを胸に留めて、これからも龍馬くんに寄り添っていけますように。
2年前♡