少し前、朝、たらたら支度をする息子に、「早くしろ」と怒鳴った。
息子は、園バスを利用しているのだが、そのバスに遅れてしまうかもしれなかったからだ。
実は、そういう日が続いていて、さすがに堪忍袋の尾が切れた。
万が一バスに遅れたら、幼稚園まで送り届けなくてはいけないし、
そのためには、タクシーを呼ぶか、じぃじにお願いしなくてはいけないし、
先生にも電話を入れなくてはいけない。
考えただけでめんどくさいし、何より急ぐのって疲れるから嫌なのだ。
だから、
「ママを困らせないで」
そんな気持ちでいっぱいだった。
だけど、バス停までの道を歩きながらふと目にした、
畑一面にぼーぼー生えた草たちを照らす光が綺麗で(本当ただぼーぼー生えてる、笑)、
息子に「綺麗だね〜」なんて話しかけたときに、
自分の中に「あれ?」という感覚があった。
そう、それは、
「この時間を大切にしたいから、
余裕を持って家を出たいんだわ」
そう気づいたからだった。
ものの4〜5分の道のりだけど、息子とのおしゃべりを楽しみたい。
一緒にいろんなものを見たい、味わいたい、この時間を大切にしたい。
息子を笑顔で見送りたい、ちゃんと抱きしめる余裕が欲しい。
息子の成長や、季節の変化をしっかり感じたい。
そうだったんだよなー。
「困らせないで欲しい。だから、早くして欲しい」は、本当の望みじゃなかった。
本当の望みは、「二人の時間を大切にしたいから、余裕を持って家を出たい」だった。
そもそも、息子は、わたしを困らせたくてのんびりしてるのでもないしね。
そう気づくと、同じ「早くして」でも伝え方が変わる、言葉にのるものが変わる。
そして、ちゃんと伝わっていくんだよなー。
本当の望みに気づきさえずれば、あとは、それをひょいっと肉体にのせるだけ。
それだけで、あっという間に、理想の瞬間は創り上げられてゆく。