少し前に、息子が4歳になりました👏🏻
誕生日当日から1泊2日、家族で熱海に行ってきた。
自分の誕生日のときにも書いたけど、
やっぱり誕生日当日だから感極まるとかはなくて、
いつもどこか掴みどころのないまま終わる。
今回の息子の誕生日もそうだった。
ただ、後日、この熱海旅行のあれこれをノートに書いていたとき、
ふと自分の中に迫ってきたものがあって。
それって何かっていうと、
「人一人の人生を創ったのだな」
という感覚。
三平荘という旅館の、松風というお部屋でお祝いしたよ。
こんなの、今まで感じたことなかったのよ。
だから、今回、突然やってきたこの感覚に身震いした(冗談じゃなく)。
紛れもなく、わたしたちは息子の人生を創った。
「重大な責任を伴うことをしてしまったー」という気持ちではなく、
「わたしってすごいんだぜー」って言いたいわけでもなく、笑、
当たり前に思い過ぎて見過ごしていたけど、
人一人の人生を創る、それくらいの力が自分の中にあるんだと感じて。
これ、本当すごいことよね?!
そんなことを思っていたときに、
ふと以前見た、藤本 さきこさんのストーリーを思い出したんです。
確かスクショしたはず!と、スマホの写真を必死で見返してみたら…
あった!
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偏見とかじゃなくて 私はやっぱり子供を産んだ女の人というのは
起業して一千万稼いだとか 一億稼いだとか 有名になったとか
そういう類のものと並べられない「すごさ」があると思ってる
その「すごさ」って創造繁栄のすごさなのよ
宇宙のすごさなの 肉体ひとつ通したすごさなの
それなのに 何人子供を産んでる人でも「こんなもの」って扱って
お金を稼いでる人とか 起業してる人とか
有名な人とかの話ばかり聞いて とても変だと思うし
一番物凄い創造を「こんなもの」としてるから結局満たされないんだと思うの
産む産まないがどうこう言う話じゃない
産んだ人がすごい、とかそう言う話じゃなくて
私は「人」を超えてすごいことだと思うの
ただ、せっかく産んだ人は 自分を通して行われたその宇宙レベルの創造をなぜ見ない?
人の稼いだお金とか 知名度とか 数字とか そんなものばっかり見て
あの人の創造はすごい、私はすごくない、って
フラフラフラフラしてるんだろう?ってすごい思う
産んだ人ほど そうやって女性性否定してるの
ずっとすごい創造してるのに全然見てないの
それって確かに「当たり前」で
誰にも「すごい」って言われないことかもしれないけれど
お金や言葉にできないのはそれを超えているから
換算できないから、言葉にできないから、見えないだけ
女が自分でそれを内側でしっかり認識しないとさ!!
しようよ♡
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日付を確認したら、2022年9月24日のストーリーでした。
わたしは、ここからも更にフラフラフラフラしてたわけだけど、苦笑、
それでも今、息子が4歳を迎えたタイミングで、
この内なる「すごさ」
をハッキリと自分の中に認められたことが嬉しい。
女性性開花も、自己受容も、その大切さなんてもう十分わかってるって思ってた。
でも、ナチュラルに否定していたんだろうな。
否定しているなんて自分では気づけないほどナチュラルに。
「子どもを産んだだけじゃダメ」
「子育てしてるだけじゃダメ」
「そんなのみんな当たり前にやっていることだから」
そうやって目の前にあるものをどれだけ蔑ろにしてきただろう。
稼ごうとすればするほど苦しくて、それを本当の意味でやめたのが去年。
起雲閣にも行ってきたよ。
ここ、本当感動した!桜の季節に行けたのもよかった!
時を同じくして、息子の赤ちゃん感が薄れてきた。
なんか去年まではまだ赤ちゃん感があったんだよね。
子ども扱いしてたとか、自分の所有物のように接してたっていうわけじゃないけど、
何となく自分の中でまだ息子とわたしの境界線が曖昧だったんだと思う。
でも、日に日に、目に見えて「一人の人間」というかんじになってゆく息子に、
息子は息子の人生なんだなと思えてきて、そんなこんなが相まって、
「人一人の人生を創ったのだな」
という感覚となってやってきたのかな、なんていうふうに感じている。
(もちろん生まれたときから息子は一人の人間だし、息子の人生は息子の人生なんだけどさ、何となくこのニュアンスわかってもらえるかな?)
プレゼントのレゴで早速カメラを作った📷
目つきが只者じゃないのよ、笑。
息子は、笑っているときはもちろんだけど、
怒り狂っているときも、泣きわめいているときも、常に楽しそう、笑。
だから、なーーーんも心配してない。
このまま育ってくれ!と思う。
あなたが存在してくれているだけで幸せ♡
パパとママの元に来てくれて、ありがとう♡