今日は、前々回・前回のブログのスピンオフ的な内容を書こうと思う✍🏻
少し前に、SNSでシェアされていた小学生の作文(新聞記事)。
確かタイトルは「悲しかった」だったと思う。
スクショしておかなかったことが悔やまれるのだが、
わたしなりに要約すると、
宿題を終えてお母さんに報告にいったところ、
伝えられたのは、「明日の分もやりなさい」の一言だった
といったような内容でした。
わたし、この作文を読んだとき、
あぁ、こうやってわたしたちは、
「自分の中の変化や努力を簡単に認めてはいけない」
と思い込んでいくんだな
そんなふうに感じた。
「ここまでやった」を認めない。
だから、「まだまだできていない」になる。
そうやって永遠に見えることのないゴールに向かって突き進んでいくんだ。
疲弊するのも当たり前だよね。
自分で認めないんだから。
「ここまでやった」を認める。
だから、「更にできる」に繋がっていく。
ただ、子どもたちが、どんな変化や努力でもいいから自分で認められるようになるには、
「そう認めてもいいんだよ」と感じられる環境や経験が必要。
その環境というのは、一概に一つとは言いきれないけれど、やっぱり大人が、
その大人自身(自分自身)に対してそういう姿勢で生きているってことだと思う。
何もこのお母さんをダメと言いたいわけじゃなくて、
このお母さんだって、きっとずっとそういう環境になかったんだよね。
やっぱり自分に対してしていないことって、子どもにもできないんだ。
日本平ホテルにお泊まりしたら、お部屋に折り紙の富士山がありました🗻
さり気ないプレゼントがこんなにも嬉しい♡
今のわたしは、誰にも認められないような小さな変化だとしても、
自分だけはわかってあげる、自分だけは認めてあげる、それが大切だと知っている。
そして、それが真理であるということも。
それは、子どもの頃にそういった環境や経験があったわけではなくて、
なかったからこそ苦しくて、心の学びを深めていく中で培ったもの。
だから、真理に気づいたときから新しいスタートがきれること、
そこから新しい人生を始められることもわかるんだけどさ。
これまで関わってきた親や先生、周りの大人たちが、
子どもを傷つけようと思ってしているわけではないことも、
むしろ、子どものためを思ってしているってことも理解できるんだけどさ。
その上で、親や先生たちをゆるそうとかそういう話で終わらせないで、
わたしは、「変化や努力を簡単に認めてはいけない」という
そんなくだらないゲームから離脱する!
それが大切なんじゃないかと思うの。
そうするとね、ここからまた新たな連鎖が始まっていくんだ。
自分にしていることは、子どもに対しても自然とできるようになる。
もう一つ、このお話に繋がるような身近で起きた出来事があるので、
次回はそれについて書きます。
続きをお楽しみに〜。