前回の続きです♪
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繁栄のサイクルでいうと、ゆり先生は①のことを話していて、
わたしは① → ② → ③を経ての④のことを話していたんですね。
(ちなみに、どっちが進んでるとかいう話じゃないです。ただ話の軸がどこにあったかっていうだけ)
で、これに気づいたとき、自分の中でシュルシュルシュル〜と時間が巻き戻って、
最初の会話のところに意識が戻っていったんです。
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そう、ゆり先生との最初の会話のところまで意識が戻って、
こんなふうに感じたんです。
わたし、セミナージプシーが悪いとか思っているわけじゃなくて、
本意じゃないのにセミナーを転々としてしまう人に、
これまで膨大に入れてきたであろう知識の整理の仕方と、
よりよい人生を生きいていくために大切な
<普遍の真理>とはどういうものかを伝えたい。
誰かのためになった方がいいとか思っているわけじゃなくて、
こういった心の学びが、
今、子育てに活きているから伝えたい。
わたし自身が、子どもの頃に、
「自分の感じる気持ちにいいも悪いもないこと」
「そのまま受け止めていいこと」を知りたかったから、
子どもたちが当たり前にそういったことに触れられる、
そんな世の中になったらいいなと思っている。
正直、ただそれだけだったんだよね。
そう、それが、「源」の感覚 を思い出した上での、
わたしの「個」の感覚 * だったんだ。
*「個」の感覚=この個体(肉体)を動かすための感覚 / 魂の指令 / やりたいことや好みのようなもの
👆🏻 繁栄のサイクルの図
👆🏻 子どもの頃のお話を書いたブログ
だからこそ、それに対して、今わたしができることをやっている。
ブログ、YouTube、Instagram、公式LINE、セミナー、オンラインレッスン、全てそう。
だけど、その中で「個」と「源」がごっちゃになってしまったんだよね。
今やっていることが、まるで「源」の感覚と矛盾するように感じてしまった。
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<半年間のオンラインレッスン>を開催することにしたら、
BB(ゆり先生のコミュニティ)の仲間たちが申し込んでくれた。
そのことは本当に嬉しくて、感謝の気持ちでいっぱい。
ただ一方で、わたしは、学びで迷子になる人を減らしたくて活動しているのに、
この活動がかえって次の学びを探し続ける人を生み出してしまっているのでは?!
そんな気持ちがよぎることがある。
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ちょっとわかりにくいと思うので、別の事例を挙げてみると…
わたしは旅行が好きで、
家族と旅をしているときに幸せだな〜と感じることが多い。
「旅行が好き」
「◯◯へ行きたい」
「あの景色を見てみたい」
「あのホテルに泊まってみたい」
「あの街の美術館に行ってみたい」
って、わたしの「個」の感覚なんだよね。
たださ、「源」の感覚って言葉にするならば、「どっちでもいいよ」じゃない?
「旅行してようがしてなかろうが、あなたの幸せに変わりはないよ」なんだよ。
その上で、その「源」の感覚がある上で、
わたしは旅行が好きで、旅行をしたいっていう話なのに、
ここでまた「旅行してなくても幸せだしね」って「源」に戻っちゃうと、
せっかく循環しているサイクルが滞ってしまう。
ワインの種類が豊富でテンション上がった〜。
北海道ワインの飲み比べセットをオーダーしました🍷
サングリアも蟹クリームコロッケも美味しかった♡
幹事をしてくれたはるちゃんにありがと〜。
今回、わたしの内側で起こっていたことって、これと同じことだったんだよね。
だから、あんなにも強烈なモヤモヤで教えてくれてたんだなって思う。
「個」と「源」は循環させるものだよ!
ごっちゃにするものじゃないよ!
そんなふうに教えてくれてた。
「個」の感覚をキャッチしたなら、そこに「源」をない交ぜにしない。
だって、その「個」の感覚は、すでに「源」を思い出した上でキャッチしたものだから。
やっとこんなふうに言葉にすることができたけど、
オフ会の場では全然、びっくりするくらい本当ーーーに言葉にならなくて、
自分でも何が言いたいのかよくわからなくなってきて、
ずっとモヤモヤモヤモヤしてた。
一人でノートの中でやればいいようなことをオフ会の場でやってしまって、
ゆり先生やコミュニティの皆さんへの甘えが出てしまったなと反省しつつ、
それでも根気強く聴いてくれたり、フォローしてくれたことに感謝でいっぱい。
その後、ぼんやりと言葉になったわたしの話を聴いてくれた友人にも。
これからは、
「セミナージプシーやめられるよ」
「心の学びを義務教育に導入しようよ」
そう胸を張って言っていける。
それが、「源」を通した上での、
わたしのやりたいことだとわかったから♡