東京オリンピック・パラリンピックも、
あっという間に閉会となりましたね!
日本中が東京五輪開催決定に沸いたのは、2013年。
この「TOKYO」の言い方がインパクトあり過ぎた、笑。
そのときには想像もしていなかったような状況での開催にはなったけれど、
無観客、沿道での観戦自粛などのおかげもあって、
思いがけず、心静かに競技を観ることができました。
そして、周りの声に邪魔されることなく、
純粋に、今、自分が何を感じるのかを見つめることができた。
こういった状況でなければ、
きっとSNSなんかも東京五輪一色になっていて、
「◯◯のチケットが当たった!」
「あの試合を観た!」
「選手を見た!」
こんな競技以外のところで繰り広げられるやり取りに、
浮き足立ち、急き立てられ、とてもじゃないけれど、
穏やかに観戦するなんてできなかったと思う。
ほら、ビジネスの側面でも、開催が決まった当初は、
「東京五輪をビジネスチャンスに!」なーーーんて、
追い立てるような声を耳にすることもあったじゃない?
開会式の森山 未來さんのパフォーマンスに息を飲んだ!
あまりに神々しくて!
実は、パラリンピックをちゃんと観るのは初めてで、
だけど、このパラリンピックのおかげで、
障害がつらいもの、悲しいものではなくなった。
まだまだ無意識のうちに、障害をつらいものや、
悲しいものとしていた自分に驚いたのと同時に、
選手の経歴についても、いろいろと調べていったところ、
先天性のものだけでなく、病気や事故によって、
後天的に障害者となった方も結構いらっしゃって、
誰にでも、平等に障害を負う可能性があることを知った。
だけど、それをつらいだけの人生、
悲しいだけの人生にしなくていいんだ!!!
そう強く思えて、ものすごく心が軽くなるのを感じた。
もちろん競技自体の公平性を保つために、
オリンピックとパラリンピックを分けて開催したり、
障害の種類や程度によって分類することはあるけれど、
存在は、間違いなく対等!
そう思うと、この先、自分やパートナー、子どもや家族が、
何らかのきっかけで障害者になったとしても、
受け止め方が大きく違ってくる!
結局は、それぞれの人がもつ「質」と同じこと。
その「質」に抵抗し続けていたのなら、
ただの嫌な部分、お荷物な部分に感じられるけれど、
ある意味、諦め、降参し、受け入れた瞬間に、
ものすごい生かされてゆくというか、その人本来の輝きを放つ。
この「質」だって、周りの雑音や、思考の声に心を掻き乱されていたら、
全くと言っていいほど、見えてこない。
静寂って、なんて贅沢なんだろうと思う!
心静かに自分の感じたことを味わえるって、最高の贅沢だ!
もちろん、どんなに周りがうるさくっても、
本当の声を聴ける自分で在ればいいのだけれど、
周りも静かでいてくれたら、それに越したことはない。
だから、今回の東京オリンピック・パラリンピックでは、
そんな至極の贅沢を味わえて、とってもとっても嬉しかった。
もちろん、異例の対応に追われた関係者の方々、
いつもと異なる環境で大会に臨まれた選手の方々の
多大なる努力があった上でのことですが。
龍馬くんの水泳は、こんなかんじ。
開脚がすごい、笑。
あーーー!
何に追われることもなく、何に急かされることもなく、
本当に静かで、穏やかな夏でした。
自分が何を感じ、味わっていくのか、
これからの季節も、それが楽しみ♡