最近、息子のできないことばかりが目につくようになった。

 

コップ飲みができない。

スプーンやフォークを上手く使えない。

自分で靴の脱ぎ履きができない。

自分でお着替えしようとしない。

 

保育園の先生から伝えられたことがきっかけだった。

 

 

コップは使えないが、ストローマグで飲める。

上手ではないが、スプーンやフォークで食べられるものもある。

補助すれば、靴の脱ぎ履きもできる。

以前はされるがままだった着替えも、自分から手や足を出すようになった。

 

だから、実は、全く問題視していなかったんです。

 

 

でも、先生曰く、

 

「次の園に行ったときに困るから」

 

とのこと。

 

 

おばあちゃんの一周忌。
法要中は、龍馬くんと別室で待機。

 

 

そう、息子が通うのは小規模保育園。

0~2歳児を対象とした少人数制で、先生方のサポートも手厚い。

 

息子もあと1年で卒園を迎え、次の園に移ることになる。

今の園のように、先生が手厚く見てくれなくなるというのだ。

 

 

胸の奥がズーーーンと重くなっていくかんじがした。

「おうちでもがんばらなくてはいけない!」と、焦る気持ちが湧いた。

 

 

でも、自宅でコップ飲みに挑戦してみても、

一口飲む度にひっくり返してこぼしてしまう。

 

靴も服も、他のことに気を取られてなかなか進まない。

 

 

なーーーんか虚しくなってきた。

「こんなことやりたいんだっけ?」と思った。

 

 

そのとき気づいたんです。

「早くできるようになって欲しいなんて全然思ってないわ」って。

 

大人になってもストローマグしか使えない人なんていないし、

別に、次行く園で最初から何でもスムーズにできるために、

息子に何か教えているわけじゃない。

 

 

それに気づいたら、少しホッとした。

 

 

かと言って、

 

「うちの子のペースでいいんです(キッ)」

 

と開き直りたいわけではない。

 

 

できるようになるなら、それに越したことはないし、

先生が、何も焦らせるために言っているのではなくて、

息子のことを心底思って伝えてくれていることもわかる。

 

だから、そこは、自宅でも工夫をしながらやっていきたい。

 

ただ、焦りたくないし、焦らせたくない。

それだけのこと。

 

 

手の甲のえくぼが愛おしい。
いつかなくなっちゃうのかなぁ。

 

 

昔は、他者の言動にいちいち心揺さぶられる自分が嫌だった。

「気にしなくなりたい」って思ってた。

「そんな強い自分になりたい」って。

 

 

でも、「心揺さぶられない」「気にしない」って、

「何も感じない」ってことじゃないんだよね。

 

 

この肉体をもって、いろんなことを感じ味わうために生まれてきた。

だから、何も感じなくなるなんて本望じゃない。

 

感じたい!

味わいたい!

そして、それを自分を知るきっかけにしたい!

 

 

他者の言動や、起こった出来事を凝視したまんまの視点をオフして、

自分を見つめる視点へと切り替えてみる。

 

そうすると、世界がまるで変わって見える。

 

いつの間にか、先生の言葉に動揺するわたしはいなくなっていたし、

息子のできないを気にすることもなくなっていた。