ちょっと間が空いてしまったけれど、この記事の続きです。
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今でこそ、こんな発信をしていますが、
わたしも専門用語的なものへの拒絶反応が凄まじかった一人。
それ以前に「目に見えない世界」とか、「スピリチュアル」とか、
「自己啓発」とか、「魂」とか無理過ぎて(心理学科卒なのに、笑)、
本当ーーーにそういう世界とは距離を置いている人間でした。
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これ(☝︎)は、前回のブログ記事の一節。
でも、当時のわたしは、
なぜ自分がこんなにも嫌悪感を覚えるのかわかっていませんでした。
だけど、わたしに対して、目に見えない世界のことや、
自己啓発の類を話す人たちに、確実に感じる違和感。
「出た!」ってなるかんじ。
「げげ!」ってなるかんじ。
体が勝手に反応するかんじ。
今は、ハッキリ言葉にできる。
わたしは、当時、そういった人たちから、
「言葉」と「在り方」のギャップ
を感じていたんだ!!!
言葉だけ、どこかから取って借りてきたようで、
全くその本人から体現が伝わってこないかんじ。
わたしは、ここに反応していたんだと思う。
ホテルニューオータニ(東京)。
5月だったので、ローズガーデンが開いてた🌹
「わたし、すぐ電化製品壊しちゃうんです〜」
「わたし、子どもや動物に好かれるんです〜」
「わたし、悩みなさそうって言われるんです〜」
(なぜなら、波動が高いから!!!)
()を直接言葉にしていなくても伝わってくる。
そう認めて欲しくて言っているのがわかる。
「こんな(こと言ってる)わたしって素敵でしょ?」という目線。
もうここまでくると、愛がないと思う。
当の本人は、
「そんなふうに思ってなかった」
「そんな自分に気づかなかった」
と言うかもしれないけれど、必ず何かしら感じているはずなんだよね。
そんなこと言っちゃってる自分に、チクッとした痛みみたいなものを。
気づかないふりしているだけ、臭いものに蓋をしちゃっているだけで。
それって、自分に対する愛がない。
外側ばかり気にして、全く内側を見てあげていないんだから。
もちろん恥ずかしいけどね!痛いけどね!
「こんな素敵な自分どーーーお?」
と放たずにいられない自分を真っ直ぐに見てあげる。
わたしは、それこそが「愛」だと思う。
檜風呂!
庭園!
▶︎ 『モテたいんじゃない。モテるかどうかすら気にならない自分になりたい。【大切なのは、痛い自分を直視すること①】』
▶︎ 『無意識のまま痛い自分を放ち続けるという地獄。【大切なのは、痛い自分を直視すること②】』
このシリーズ(☝︎)でも書いたけれど、
伝わるのは言葉じゃなくて、その言葉にのって放たれるもの。
目に見えない部分!耳に聞こえない部分!
だから、「言葉」だけを見るって、あまり意味はないと思っています。
その言葉の使い手によって、伝わってくるものが全然違うから。
それは、やっぱり「在り方」の違い。
ただ、それを受け取れるのもまた、自分が体現してこそ。
どんな自分も真っ直ぐに見つめてあげよう。
そうしたら、本当の!本物の!素敵な自分に辿り着くから。
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