ちょこっと間が空いてしまったけれど、これらの記事の続きを書きまーす✍🏻
このシリーズは、両親に息子を預けて行ったシンガポール旅行を機に、
産後間もない頃、父から言われた(キレられた)、
「親になったら、自分の欲は我慢すんだよ」
という言葉を思い出して、それにまつわるエトセトラを書いています。
主に、その言葉に対して何を感じ、どう自分の中に持ち還り、
どのように肥やしとし、どんなふうに変化していったかみたいなところを。
前回の記事は、こんなふうに(↓)締め括りました。
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それと、父の「親になったら、自分の欲は我慢すんだよ」という言葉の奥に、
ものすごい感謝の気持ちも湧いたので、それはまた次回書こうと思う。
あまり期間が空かないうちに書きますね、笑。
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(しっかり期間空いたよね、笑。)
父とは、もううんざりするくらい互いの正義や正論のぶつけ合いをしてきて、
すでに、それでは埒が明かないこと、
むしろ、益々関係が拗れていくことには気づいていて、
父の言動に怒りが湧く度に、それをそのまま相手に放つのではなく、
「本当の本当はどうしたい?」
わたしは、わたしにずーーーっとこう問うてきた。
で、辿り着いたのが、前回の記事で書いたこの部分(↓)なのだけど、
本当素直に息子のことをお願いできるようになったし、
気持ちよく受け入れてもらえるようになったと感じている。
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ただ、わたしたちは一辺倒に生きているわけじゃない。
やっぱり息子がいることで大変な側面もあるし、
行けない、もしくは、避けたい場所があることも事実。
そういうとき、もちろん「今じゃなくていい」とする場合もあるけど、
「息子と一緒にいたい」と同じように、その「◯◯したい」を叶えたい。
それは、わたしの心が喜ぶからという理由以外にないんだけど。
そういうときは、両親に息子をお願いしたいんだよね。
「わたしは、これがしたい」
「だから、龍ちゃん(息子)を見ていて欲しい」
伝えたいのは、これだったんだ。
何度も言うけど、
「そういう言葉が、母親を追い詰めるんだよ」
「だから、少子化に拍車がかかんだよ」
本当そんなことを言いたいわけじゃない。
伝えたいのは、正義や正論なんかじゃない。
真理に触れた上での「こうしたい」「こうして欲しい」を真っ直ぐに伝えたい。
そうしたら、対立になんてならないんだ。
今もね、お願いするときにはやっぱりドキドキするけど、
変に拗らせずに済んでいて心地よいし、
快諾してもらえることも増えて、とってもいいかんじです。
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そんなこんなで、そのまま何の問題もなく過ごしていたのですが、
少し前に、藤本 さきこさんのInstagramのサブスクサービスが始まり、
そこで流れたストーリーの投稿にハッとしたのです。
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そのケチな部分のおかげで感謝できる事ってない?
それを見つけるのが先。
ケチなせいで、を数えるより、
ケチなおかげで、を数えてみて。
多分世界が変わる。
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(幻のサブスクだった。即登録して本当によかった。)
これを読んだときに真っ先に思い浮かんだのが、あの父の発言でした。
「親になったら、自分の欲は我慢すんだよ」
わたしはわたしの本音に気づいて、それを割と真っ直ぐ父にも伝えられるようになって、
以前に比べたら、ある程度良好な関係を築けるようになったとは思う。
でも、まだ、こんな発言をしてきた父が、何かと自分の正論を振りかざし、
それを他人にまで強要してくる(ように思える)父が、心の底では許せなかった。
やっぱりその気持ちは変わっていなかった。
だけど、このさきこさんのストーリーを見て、
「お父さん、わたしたちを育てるときにいろんなことを我慢してきたのかも」
「その我慢のおかげで、あんなこともこんなこともさせてもらえたのかも」
何だかふとそんな思いが心に芽生えたのです。
Marina Bay SandsのCÉ LA VIで一杯。
蒸し暑さとアルコールでクラクラになった。
我が家は三姉妹(わたしは末っ子)。
父の「三人平等」というポリシーの元、三人揃って歯列矯正をさせてもらって、
三人揃って東京の私大に通わせてもらい、三人それぞれ成人式の着物を揃えてもらった。
もっと遡れば、ピアノに習字、いろんな習い事にも通わせてもらったし、
スキーにキャンプに旅行、いろんな場所にも連れていってもらって、
実家には大層なアルバムまで残っている(しかも、三人それぞれ別々のアルバムがある)。
それに、わたしが重度のアトピーで入院が必要になったときも、
「大部屋が嫌だ」と言うワガママを飲んで、1ヵ月以上も個室に入院させてくれた。
他にも挙げたらキリがないくらい、してもらったことなんて山ほどある。
別に特別裕福な家柄ではない、一般的な田舎の共働き家庭。
本当は飲みたいお酒もあったと思う(父は酒好き)。
本当はもっと自分のことにお金を使いたいと思ったこともあったかもしれない。
それでも、娘たちにかけたいという気持ちを優先してくれたんだろう。
そう思ったら、泣けて泣けて仕方なかった。
「親になったら、自分の欲は我慢すんだよ」
父がどんな思いで、この言葉を言ったかまではわからない。
だけど、「いいじゃないか」って、
「こう言ってくるくらいいいじゃないか」って、そんなふうに思えた。
サングリアがなくて、敢えなくシンガポール・スリング(手前)にしたのに、
これが正解!と言わんばかりの美味しさだった〜。
シンガポールから帰ってきて、母が新幹線の駅まで迎えにきてくれたのだけど、
「うちでごはん食べてくでしょ?」
「もう一日、じいさんに龍ちゃん預かってもらったら?荷物の片づけもあるでしょ?」
帰りの車内で、そんなふうに言ってきた。
その母の言葉どおり、実家に帰って、用意してもらったごはんを食べ、
お久しぶりの息子と少々戯れて、また一人自宅に戻るという相当な甘えっぷりを発揮。
そのときに感じたことがある。
「頼んでもいないのに、全てがお膳立てされている」
「こんな近くに、溢れんばかりの豊かさがあったんだ」
これまたさきこさんのブログの内容と繋がった瞬間である。
ブログはイタリアのお話だけどね、実家も同じなのかも?!なんて思いました。
今回のシンガポール、本当に行ってよかったな。
「精神の大冒険」とはこのことで、父の憎き発言の奥に感謝が湧いたこと、
そして、そこにいつでも帰る場所が用意されていることへの深い有難さを感じられて、
何だか胸の奥がぶわーーーっと広がってゆくようでした。
だからといって、これから先のことはわからないのです。
また衝突する日だってあるかもしれない。
でも、そうなっても大丈夫と思える今がとても嬉しい。