先月末、3年ぶりにベルナール・ビュフェ美術館に行ってきました🎨
高速を使えば30分ちょっとで行ける距離なのに、なかなかに腰が重くて、
そんなこんなしてる間に3年も経ってしまいました。
(道間違えて60分かかったけどな、苦笑)
3年前はまだまだベイビーだったのに…
こんなに大きくなったよ!
館内に「ビュフェこども美術館」なるものがあって、
子どもたちがアートに触れながら思いっきり遊べるのだよね。
それがすごくよくって、お気に入りの場所。
今回の久しぶりの訪問をきっかけに、
前回行ったときのブログを見返してみたんだけどね…
あれから3年間、わたし、ちゃんと子育てしてたわ!って思った。
と同時に、すごく恥ずかしくなった。
そう、3年前もちょうどクリスマスの時期(確かイブの日だったな)に訪れて、
ミュージアムショップで『クリスマスって なあに』という本を買ったんです。
当時のブログにはこんなふうに書いてあったけど…
==========
割と文字が多くて、きっと0歳児向けの本じゃないし、
案の定、ページを食べたり、紙の質感を感じたりする方が好きみたいだけど、
「どうせわからない」ではなくて、
「龍馬くん(息子)なりに、ちゃんとわかっている」
と思って、接したい。
==========
今のわたしだったら、きっとこの選択はしない。
0歳の息子にこの本は買わない。
だってね、破いたり、食べちゃったりしてね、
結局ボロボロになって処分してしまったのーーー、涙。
ここ、本当おすすめ!
美術館に関するあれこれは、Instagram(@sayamitsuhashi)の方に書きました!
3歳9ヵ月になった息子は、もうそういうことをしない。
本は見るもの、読むものだと認識している。
文字の量が多くてもじっと聴いているし、
イラストからもいろんなことを読み取っていて楽しそう。
だからね、成長を待ってもよかったんだよなって思う。
「息子なりに、ちゃんとわかっている」と思って、接したい。
もちろんこの思いは持ち続けているけど、
本についてはちょっと無理矢理だったなと、見返してみて恥ずかしくなる。
こういうことって往々にしてあるよね。
いつかのYouTubeでも話したけど、きっと死ぬまで一生続くこと。
それは、「今、わかっている」のその先の、「もっと深いわかる」がやってくること。
この動画だわ👆🏻
その「深いわかる」がやってきたとき、
それ以前の自分に恥ずかしさを覚えることもあるけれど、
その恥ずかしささえ受け止めていくんだ。
カメラを向けると、いろんなポーズや表情してくれて楽しい、笑。
わたし、よっぽどのことがない限り、過去の記事を消すってしないんですね。
それは、ふと見返したときに感じる気持ちも大事だから。
それが、たとえ赤面級の不快な気持ちだったとしても、
当時のブログに書いていることを今は全く思っていないとしても。
シンプルに、やってみて気づく。
それ以外にないよな、と。
そう思うと、3年前も、わたしなりにわかっていたのでしょう。
やってみたから、そのわかるがアップデートされたのでしょう。
「何もわかっちゃいない」と卑屈になることはないが、
「きっとこの先もあるのだ」と謙虚な気持ちを持ち続けてはいたい。
(なんか伏線回収したかんじだな〜🚩)