最近、公式LINEに、行き渋りをするお子さんへの対応について質問をもらった。
詳しい内容は、許可をいただけたらYouTubeかどこかでお話ししたいと思うんだけど、
要は、「お母さんと離れるのが嫌!怖い!」みたいなことらしい。
多くの場合、お母さんって「源」のような存在で、
やっぱりそこから離れて新しい環境に飛び込むというのは怖いものなんだよね。
そう思ったときに、産まれたときの恐怖ったらなかっただろうなって思った。
覚えているわけじゃないから、あくまでもイメージでしかないんだけど、
お腹の中で肉体は出来上がっているとはいえ、
やっぱりまだまだ魂だけに近いふわふわとしたところから、
急にこの物質世界に放り出されるわけでしょ(表現、笑)。
そりゃ、怖いよね。
わたしたちって、いっちばんの恐怖を産まれた瞬間に味わってると思うんだよね。
そう思ったとき、その瞬間の記憶がないのは神様の優しさだなと感じたわけ。
同じようなことを、『ファーストキス 1ST KISS』という映画を観たときにも思った。
極力ネタバレにならないように書くけど、
これから映画を観るっていう人は気をつけて!
松村 北斗さん演じる硯 駈(すずり かける)はさ、
ずーーーっと自分が死ぬ瞬間をわかって過ごすんだよね。
自分がその日死ぬことをわかって、朝、玄関を出ていくの。
もうそれを思うと耐えられなくて…
避けようと思っても絶対死ぬ。
そんなのわかってたら、たまったもんじゃないよね。
怖いよ。
そのときも思った。
わたしたちが死ぬ瞬間を知らずに過ごしていられるのは神様の優しさだって。
この世はとてもよくできている。
目に見えない、一見当たり前過ぎて思いを馳せるまでもないようなことに目を向けてみる。
そうすると、本当に大きな大きな優しさに包まれていることに気づける。
自然と感謝が湧いてくる。
そして、
あぁ、だから、大丈夫だ!
とも思える。
自己受容とか、自己肯定感とか、よく耳にするようになったけど、
それらの大元の部分ってこういうことなんだと思うんだ。
何かできるようになって自信をつけるとかじゃないのはもちろんだけど、
別に自分の質を知るとか、それを受け入れるとかいう以前の話。
「大丈夫なようにできている」
そこを思い出せるかどうかだよね。
映画のロケ地になっていた、隣町の無上帑さん!
とっても素敵なお店で心からおすすめ!
いやはや、こちらの映画、本当よかったわぁぁぁ。
映画ってあまり観ない方だけど、観にいって本当によかった。
(なんかね、「この主演の人、ここの演技めっちゃ緊張したよね」とか「あっ、ここ、こんな意識で演じてるのかな」とか、そんなことばっか気になって入り込めないことが多くて、涙)
隣町の大大大好きなお気に入りのお店がロケ地になっていたりして、
密かにテンション上がっていました!
調べてみたら、近くの映画館でまだ上映してるみたい。
もう一回観にいっちゃおうかな。
他にもいろいろ感じたことはあるから、それはまた別で書こうと思う(たぶん)。
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このシーン、大好き♡この場所が例の隣町のお店です!