息子はとにかく喜怒哀楽全てにパンチがある。
すっごいゲラゲラ笑うし、全身を使って喜びを表現する。
これは怒るときも同じで、ものすごいパワーで怒りをぶつけてくる。
わたしは息子よりも早く起きるので、息子が目覚めたとき隣にいないことがほとんど。
息子はそれが寂しいのか、起き抜けから怒り狂っているときがある。
(毎日なわけじゃないので、目覚めの悪さが重なったときにそうなるのかな。たぶんもう一眠りしたいのに、ママがいないことに気づいて起きちゃったみたいなシチュエーションだと察する)
寝室のドアを力強く開け、どしどしと歩いてリビングにやってきて、
おもちゃやティッシュなど目に入ったものを手当たり次第投げ飛ばし、
最後にわたしの前に立って平手打ちかグーパンチ。
そして、こう一言。
「ママもこっちにこい😤」
息子は力が強いから痛いんです。
まるでわたしの気持ちを代弁してくれているようなオブジェ、笑。
書いていて笑っちゃうくらい可愛い光景なんだけど、
そう思えるのはやっぱり心の学びを深めてきたからだと思うんだ。
昔のわたしは、怒りを感じるなんて悪いことだと思ってた。
ましてや外に向けて怒りを表すなんてやってはいけないことだと思ってた。
でもさ、それって、
成長する過程で周りの人たちが言っていたことをそのまま取り入れただけで、
怒ってもいいし、
どんな表現をする自由もある!
本来、これが「真理」よね。
決して「ものを投げてもいいよ」「他人を殴ってもいいよ」と言いたいわけではなくて、
「何を感じてもいいよ」
すなわち
「怒ってもいいよ」
ここからスタートしないから拗れるし、ややこしくなるし、長引くのだなと。
母親の性格のよし悪しや、穏やかな人かどうかなど関係ない。
全て、この「真理」を思い出せているかどうかの話。
たとえそれがどんなにネガティブなものであっても、
わたしたちが感じる気持ちにいい悪いはない。
何を感じてもいいし、それをどんなふうに表現してもいい。
そうやって感じることをゆるしたとき、
勝手にかけていた見えない制限(「◯◯してはいけない」など)を外したとき、
人って感情の奥に潜む本当の気持ちにたどり着ける。
そのことをわかっているから、怒り狂う息子に怒りで返したり、
「怒っちゃダメ!」「叩いちゃダメ!」で済ましたりせずに済むんだよね。
そう、子育ても「真理」を思い出せているかどうかだ。
彫刻の森美術館に行ってきました🎨
一際目を引くこの「密着 Ⅲ」という作品。
さて、男性女性どちらでしょう?
そうやって一旦自分で怒りを受け止めてみるとさ、
「ほんとは ママが となりにいなくてさみしかった」
「めがさめたとき となりにいてほしかった」
「だって ママがだいすきだから」
ここにたどり着ける。
自分にこの気持ちに気づいて欲しいんだよ!
そして、そこからだよ!
そこから表現するんだ!
そうするとね、もはや怒りは消えていて、
「ママ こっちにきて〜」
とただ真っ直ぐに表現できるようになる。
※ ここで勘違いして欲しくないのは、「怒りを表現する」が必要なときもあること!怒りがなくなったから正解ではないよ!それについては、またどこか別のところで書くか話す ※
大人になると、ここに
「なんでわたしが下手に出なきゃいけないんだ」
「好きなんて認めてやるもんか」
とかおかしな勝ち負けの概念が加わったりするから、これまたややこしいんだけど、
それを一つ一つやめていくことだよね。
負けとかないから!
これもまた「真理」!
今回これを書きたかったのは、
今でも事あるごとに思い出すわたしの幼少期のエピソードがあるから。
でも、そこにたどり着く前に、息子の話をこんなに長々と書いてしまったので、笑、
それについては、また明日以降改めて書きます。
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