あっという間の5泊6日。
昨日、香港に戻りました。
美容院でカット&カラーの
技術の高さに感動したり、
友達との会話に刺激をもらったり、
美味しいごはんや、
美しい新緑の風景などなど、
本当にいろいろいろいろあったけれど、
最も心動かされたのは、
という映画です。
個人的には、暴力的なシーンを
もう少しマイルドにしてもらえたなら完璧。
(せめて猫は食べないで欲しかった…)
それはさておきたくもないが、
さておくとして、
こちらは「美女と野獣」に対する
アンチテーゼ的* な一作らしいのですが、
確かに、
美しいものを美しく表現するのは
割と簡単だけれど、
そうでないものの中に美しさを見出すには、
相当な技術とセンスが必要だなと感じました。
「シェイプ・オブ・ウォーター」は、
そんな高い技術とセンスを感じられる作品。
(何度も言うけれど、)
暴力的なシーンをもう少し抑えてくれたのなら、
映り込むものすべてが美しく、
水中のシーンなんてハッとするほど綺麗なんです!
都内では2箇所でしか上映していないくせに、
まさかの帰りの機内で観られるという、笑。
よって、二度の鑑賞。
まぁ、R指定の作品を機内で上映するものだから、
私的に重要なシーンたちが
かなりすっ飛ばされていたので、
映画館での鑑賞をおすすめしたいところですが…
とてもロマンチックで、
不思議な吸引力があります。
数年前にもよく耳にした「ありのまま」というワード、
こちらの映画でもテーマになっていて、
度々セリフの中にも登場しているのですが…
「彼は不完全な私じゃなく、
ありのままの私を見てくれる」
あまりにも抽象的すぎて、
わたしの中で長い間課題的ワードでもあった「ありのまま」、
その答えを見つけたような気がします。
ーーー 記事より抜粋 ーーー
私は、愛することの反対は、
ひとことで相手を言い表そうとすることだと思っています。
たとえば、私を「メキシコ人」と呼ぶ。
あるいは“女性”や“ユダヤ人”など、
たったひとことで相手を表現しようとする行為には愛を感じません。
人は皆、複雑でいろいろな面を持っているからです。
では、愛は何なのかというと、相手を理解することです。
ありのままの、複雑な部分を持っている相手を見て、理解しようとする。
理解しようとする行為と、愛するという行為は、同じだと思いますね。
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例えば、外見がよいから好きになる、
それが決してありのままを見ていないとは思いません。
でも、その人を作り上げる要素はそれだけじゃない。
だから、特定の要素に引っ張られないということが、
ありのままを見る(理解する)ということなのかな。
ちなみに、これは他人を見るときにも、
自分を見るときにも言えることなのかもしれません。
特に、人は(半魚人もか!?)、
自分が不完全だと思っているところを
認めてもらえると(気にしないでいてもらえると)、
「ありのままを受け入れてくれた」
と思えるのかなとも感じました。
いいのか悪いのか、
いろいろと思考を巡らせるくせがあり、
こんなに長くなってしまいましたが、
とにかく打算なく、
とことん誰かを愛してみたいと思える作品。
誰かを愛する姿は、
何者をも美しく見せる力があるのではないでしょうか。
主人公と半魚人の愛が深まるに従って、
どんどん美しさが増していく、そんな映画でした。
* 「人は外見ではない」というテーマを掲げているにも関わらず、
最終的に野獣がハンサムな王子様になることに対して。