これを書くまでに
かなり時間がかかっちゃった。
映画「STILL LIFE OF MEMORIES(スティルライフオブメモリーズ)」のこと。
このブログの続きと言えば、
続きなのだけど。
この付近、結構長いこと、
女性とは?男性とは?って考えてて、
きっとどこかで目にした、
「男性と女性は根本的に違う」
「そもそもスタートが違う」
みたいな言葉が、
頭の片隅にずっと残っていたんだと思う。
そしたら、こちらの映画でも、
「男性は真理を求めるが、
女性は自らが真理である」
というセリフがあって、ハッ!とした。
確かこんなセリフだったはず。
ニーチェかどなたかの言葉なのかも。
映画のあらすじとしては、
とある写真家(男性)の写真に魅せられた女性が、
彼に自分の性器の撮影を依頼するところから始まる物語です。
病床の母の存在から、
命には限りがあると知り、写真に残したいと思った、
そんなニュアンスもチラホラ感じるのですが、
だったら、何で性器やねーーーん!?
って疑問が拭えないのです。
結局、そこは、実在した人物で、
女性器を撮影し続けた、
フランスの画家兼写真家であるアンリ・マッケローニ氏に
影響を受けたってことで落ち着くんだけど。
わたしは、
女性器を男性が撮影するってところに、
意味がある気がしてならないのよね。
女性の写真家だっていいわけで、
しかも、映画の最後に登場する写真たちは全て、
中村 早(さき)さんという、
女性のカメラマンさんが撮影したものみたいだし。
同業者で同い年、しかも、名前まで似ていて、勝手に嬉しい♡
ちなみに、早さんは、ご自身の活動では、
男性のヌードを撮っている!!!
こういう逆転がおもしろいよね〜。
この図(上)が、
ニーチェの哲学そのもののような、
そんな気がしました。
で、そこから感じたのは、
やはりいくら男女平等を声高らかにうたっても、
その平等は測れるものでは決してないのだということ。
だって、そもそもが違うから。
違うから惹かれ合うのであって、
同じ土俵に立つ相手ではない。
何なら土俵すらない!
でも、
悔しかったりするんだよねーーー、
男性からアドバイスされると。
論理的に考えられない、
数字に強くない、
そんな自分への劣等感だと思うのですが、
これが男女の関係をこじらせたりすることは大いにある。
だから、お互いが、同じ人間でも、
男性と女性は異なる特徴(特長とも言う)をもった生き物と認識し、
それらを尊重することができたのなら、
それぞれが生きやすく、
本当の意味での平等を目指せるのかもしれない。
その違いは、
すでに身体に現れているのだから。
こう締めくくれば、
脱線しまくったであろう文章も、
最後の最後で映画の内容に繋げて終えられるかな?笑。
いろんなレビューにも書かれていたけれど、
非常に「音」のインパクトの強い映画でした。
水の滴る音なんかが、
女性の裸よりも妖艶なかんじがして、
時々、違和感を感じるシーンはあったけれど、
葉っぱくわえて振り返るシーンは今でも謎!
全体的には、生々しくて綺麗。
でも、やっぱりまだ
自分の中で落としどころは見つけられず、
これからも哲学的思考を巡らす日々は続きそう。
1つ決めたことは、
「わたしは女性である!」
と認めること。
以上、笑。