「今のわたしは仮のわたし症候群」というのは、
いつか素敵なわたしになるんだ!
だから、今のわたしは仮のわたしなんだ!
といった症状のことです。
かなりの広範囲に蔓延している、一種の病気だと思う。
コロナウイルスのように、
生き物を死に至らしめるわけではないけれど、
いつも今に満足できず、心が悶々としている。
わたしも罹(かか)ってた、爆。
これ、本当にどこかで一度、
「今の自分に満足する!」
って決めないと、いつまで経っても治らない。
「いつか素敵なわたしになるんだ!」という気持ちを、
「向上心」みたいに思っちゃってると更にややこしい。
「今の自分」を認めていないだけなのに。
セドナの「Chapel of The Holy Cross」
このブログ(☟)にも書いたけれど…
どんなに満足できない「今」でも、
必ず自分が望んで叶えた結果です!
例えば、
「大っっっ嫌いな旦那だけど、今から一人暮らしして、
自分で家賃払って、生活していくなんて考えられない」
と思っていたとします。
「毎日毎日、本当不満!この旦那といるなんて耐えられない!」
「いつかこの生活から抜け出す!」
「旦那より金持ちでいい人つかまえて、いい生活する!」
とか何とか思っていたとします。
それ、叶うわけないですから!
自分で家賃を払うのが嫌だから、
大っっっ嫌いでも、その旦那さんと一緒にいる。
この現実を選んでいるのは、紛れもなく自分自身で、
「自分で家賃を支払わない」
「旦那さんが生活の基盤を支えている」
100%望みは叶っています。
そこを無視して、夢物語ばっかり語っていても、
願いなんて叶うはずないんですよね。
だって、願いが叶っていることにすら気づかないんだもん。
ずっと「仮のわたし」を生きているんだもん。
どこかで気づかない限り、この「仮のわたし」がずっと続きます。
つまり、ずっと「今に不満なわたし」が続く…
またセドナに行きたい♡
一人旅だったので、見知らぬ人たちがたくさん被写体になってくれた♡
どうしてこんなことが起きるのかというと、
望みが叶っている「今」を認めたくないからだと思う。
その理由は、大きく分けて2つあって…
1つは、「勝ち負けの世界」で生きているから。
「叶っていると認めたら、負けな気がする!」
「認めてなんかしまったら、旦那を許すことになってしまう!」
頑なにこんな気持ちを抱えています。
本来、勝ち負けなんてないのに。
自分で創り出した、この「幻」に、
自分が一番翻弄されていることに気づくといいと思います。
セドナの大地に包まれてする食事は最高!の一言。
味覚、視覚、聴覚、嗅覚、触覚…その全てが研ぎ澄まされる。
そして、もう1つは、
「今に満足してしまったら、これ以上望めなくなる!」
という「設定」があるから。
それ、誰が決めた?!笑。
冒頭のあたりで書いた、
見当違いの「向上心」にも似ているけれど、
多くの人が、
「満足したら、成長できない」
「満足したら、よりよい生活はできない」
「満足したら、堕落する」
みたいに、本来何の脈絡もないところを、
勝手にくっつけてしまっているんです。
ぜひこちらの記事(☝︎)も参考にしてみてください!
だから、どんどん切り離して、
今に満足しながら、
いろんなこと願えばいいし、
成長すればいいし、
よりよい人生を求めればいい♡
むしろ、どこかでちゃんと「今」に満足しない限り、
どんなに願いが叶っても、
どんなに成長しても、
どんなによい人生を歩んでいても、
ずっと「不足」が付きまとう。
だって、いつも「仮のわたし」で生きていて、
今に「不足」しか見出していないんだから!
今に「満足しない」って自分で決めてるんだから!
実は、これに関しては、
わたしの恥ずかし過ぎるエピソードがあって、
その一件が、
「このブログにノートのことを書こう!」
と思ったきっかけにもなったので、
明日はそのエピソードを書こうと思います。
わたしの、「今のわたしは仮のわたし症候群」は、
結構重症だったなぁ(遠い目、汗)。
(つづく♡)