よく凹みます。
よく気分が落ち込みます。
ぜーーーんぜん元気が出ません。
自分には、なーーーんにもない気がします。
わたしのことです、笑。
そんなときは、思いっきりそのまんまでいます、笑。
とにかく黙って、自分に集中します。
ひたすらゴロゴロします。
とことん昼寝してやります。
そんな気持ちをノートに書き殴ります。
「ザ・ペニンシュラ香港」
水面に映る姿がかっこよかった♡
ノートを書くようになって、
全ての感情は対等で、
どんな気持ちも等しく尊いということが、
よくよくわかってきました!
「嫌な気持ち」
「ネガティブな気持ち」
「感じたくない気持ち」
「早く切り替えたい気持ち」
としていたものでさえ、
これら全部ぜーーーんぶ感じるために、
この肉体を持って生きているのだと感じます!
物質的な世界に生まれてきた意味はここにある!
もはや、真理♡
「感情を味わう」という大原則において、
嬉しいことも悲しいことも、全ては一律に対等で、
どんなに肉体で嫌だと感じても、魂にとっては全て喜びです。
だから、「嫌なのにやめられない」という現象が起きる(☟)
このことをうっかりすっかり忘れてしまっていると、
「ふわふわ幸せ〜だけを感じさせてください!」
「不快な気持ちは味わせないでください!」
という的外れな願いを放つことになる。
「ふわふわ幸せ〜」も「不快な気持ち」も、
わたしたち(肉体)が勝手に決めた感覚なだけなので、
魂にとっては、どちらも変わりはないのです!
だから、「どっちかだけください」なんて叶えようがない!
尖沙咀(Tsim Sha Tsui)のプロムナード♡
朝のウォーキングコース。
痛い?苦しい?悲しい?ムカつく?憎い?
いわゆるネガティブな感情(と思われるもの)を
一切味わいたくないというのは、
「肉体をなくしてください!」
「死なせてください!」
と言っているようなもの。
それって、本当の願いじゃないと思う。
少なくとも、わたしは、そんなこと望んでいない。
別に、これが心からの願いの人がいてもいいと思うし、どっちがいいか悪いかではない!
(肉体にとっては)嫌なものは嫌なんだけど、
無理矢理切り替えようとしない!
そのまんまでいい!
そう思えるようになったことで、
揺るぎない安心感の中にいられるようになりました。
「ポジティブな自分はいい」けれど、
「ネガティブな自分はダメ」としていたときは、
本当に苦しかったし、全然安心できなかったなぁ…
どんな自分も等しく尊い♡
そう思えたとき、ただただ安心して、
不安を感じられるようになった。
ただ安心して、どんな感情をも味わう♡
肉体を持っているわたしたちの本当の願いは、
これに尽きるんじゃなかろうか。
早朝の光って青いんだよな〜。
補正がんばったけど、なんかしっくりこない!笑。
もし安心を求めて、幸せを求めて、
本を読み漁ったり、セミナーに通いまくったりと、
躍起になっているのなら、
揺るぎない安心感や幸福感は、
今、自分が感じている、
安心できない!
幸せじゃない!
その気持ちに浸ることでしか、
たどり着けないものだということに気づくといい思う。
そもそもの問題は、自分で、
「これは安心だけど、これは安心じゃありません!」
「これは幸せだけど、これは幸せじゃありません!」
と、気持ちを仕分けしまくっていることにあるから。
感情の仕分けに関しては、こちらのブログ(☝︎)をどうぞ。
だからといって、
「この苦しい出来事にも意味があるのね〜」って、
メルヘン爆発させて、わかったふりをしていると、
ただの無理矢理ポジティブシンキングに陥る…
奥底では、ぜっっっんぜんいいと思ってないのに、
表面上だけでよいと思い込ませようとする…
そうじゃあなくて、
「めちゃくちゃ苦しいです、涙」
「幸せなんて感じられません、涙」
そう感じている自分を見る。
いつでも見るのは、自分の気持ち!
これしかない!
嬉しいと感じている自分も、
悲しいと感じている自分も、
楽しいと感じている自分も、
苦しいと感じている自分も、
「どんな自分でもいい」と許せたときに、
心から望んでいた安心感にどっぷりと浸ることができる♡