今朝、ふと痛みも痒みもなく起きられる毎日に、感謝の気持ちが湧いた。

 

わたしには、アトピー性皮膚炎があって、

その治療のために使っていた薬の副作用で、

通常の生活を送ることが困難になるほど、

全身ひどい炎症の中で過ごした数年間があったから。

 

夜中に皮膚を掻きむしってしまって、

大量の膿と痛みで目覚めることもしばしばでした。

 

 

あの頃、

 

「綺麗な肌にしてなんて贅沢は言わないから、

 せめて痛みも痒みもない状態で目覚めさせて!」

 

と、切に願っていた記憶がある。

 

 

彫刻の森美術館に行ったよ!
ここは、ネットの森!

 

 

薬をやめて丸6年が経った頃、急に症状がよくなり始め、

願っていた毎日を手に入れることができた。

 

何の不快感を味わうことなく、起きられる!

わたしにとっては、奇跡だった!

 

 

でも、その奇跡も、一瞬にして当たり前になる。

 

 

痛みも痒みもない肉体で過ごせることの有難さも忘れ、

 

もっとこうだったらいいのに!

もっとああだったらいいのに!

ここが不満だ、ここも不満だ!

 

と、足りないところにばかり目がいった。

 

 

願うことがいけないわけじゃない。

願うって、すごく大事だ。

 

 

ただ、その願いが、

 

今まで叶ってきたいくつもの願いに感謝した上で、

更に「こうあったらいいな」と望むものなのか、

 

まるで「何も叶えてもらってませんけど?」という態度で、

不足を感じながら望むものなのか、

 

これによって、創造される現実は、全然違ってくる。

 

 

やっぱり不足は不足しか生まないんだよね。

叶えてもらっていることを忘れちゃっているんだもん。

そりゃ、何も叶っていないのと一緒だよね。

 

 

子どもと一緒だと、また違った楽しみ方ができて、
本当におもしろかった!!!

 

 

独り身のときは、彼が欲しいと願った。

彼がいることが当たり前になり、次は、結婚したいと願った。

夫婦でいることが当たり前になり、次は、子どもが欲しいと願った。

家も建てた、車も買った。

 

そんな日々も当たり前になり、

このままの生活が続くと思うと絶望的な気持ちになった。

 

 

無職のときには、就職して安心したいと願った。

就職してみると、不満でいっぱいになった。

 

でも、辞めるのも不安で、

この八方塞がりな状態に絶望的な気持ちになった。

 

 

これまで叶ってきた数々のことに、

感謝したらいいのに!と思う。

 

 

別に、そこにキラキラした気持ちを乗せる必要はないから、

ただ淡々と叶ってきた事実を見る。

 

 

そうすると、

 

「あっ、わたしが忘れてしまっていただけだな」って、

「確かに、わたしが願って叶えたことだったな」って、

 

そんなことに気づけるから。

 

 

自分で願っておいて、しかも、その願いを叶えてもらっておいて、

 

「こんなの望んでません!!!他の現実をください!!!

 ってやってんの、わたしだったわ…」

 

って、それこそ、そんな自分に大絶望するから。

 

 

わたし好みのシュールなアートが多くて、すごい好き♡
館長は、あの森 英恵さんでした。
ご冥福をお祈り致します。

 

 

不満も不安もいっぱいだったとき、心底!本当心底!嫌になって、

外側に原因探しをするのをやめて、真っ直ぐ自分を見つめてみたら、

叶えてもらってきたことを、全部なかったことにしていることに気づいて、

涙が出てくるくらい、「ごめんなさい」という気持ちでいっぱいになった。

 

本当は、こんなにたくさんのことを叶えてもらっているのに。

こんなに有難いほどの当たり前に囲まれて生きているのに。

 

 

それからというもの、たくさんの「叶った」が見えるようになった。

 

そして、どんなに些細だと思えるようなことでも、

ちゃんと自分が「叶った」とカウントしたことは、

後から必ず「大きな叶った」になることもわかった。

 

 

これも叶ってない、あれも叶ってないという姿勢は、

「叶っていない現実」を創り出すし、

これも叶った、あれも叶ったという姿勢は、

「叶っている現実」を創り出す。

 

 

ただそれだけのこと♡

びっくりするくらい、単純明快だね♡